☆M小学校でした。児童数約600名の中心校。
ところが、通常学級在籍で落ち着かない子がしばしば教室の外に出ることがあったり、不登校の子・保健室登校の子がいたりしていたのですが、私がその子たちを空いているコマの中で見ることになりました。
そんな中に、不登校のA男(4年生、通常学級在籍)がいました。
◆1 A男のスタート時の状況
A男は、1学期の段階で欠席が39日に達し(年間通算30日以上の欠席で不登校)、
出席の場合もお昼近くになって保健室に登校していました。
しかも、母親が車に乗せて登校する状態です。
保健室登校後も、そのままそこで給食を食べ、その片付けもしません。
その後、保健室で好きな本を読んだり、おしゃべりをしたりして過ごしていました。
このような状態でした。
教頭から指示があり、こうした状態を改善するために、2学期から1時間だけ私が見ることになったのです。
*みなさんなら、どうしますか?
もう一度、「A男のスタート時の状況」を読んで、状況をイメージしてみてください。
◆2 2学期から1時間、私が見ることに! まず、何をしたか?
まずは、「学校が楽しい」と思ってもらえるように、その子の好きな遊びを中心に関わりました。
はじめこそ積み木やブロックでの1人遊びを好みましたが、
すぐに私と一緒にジェンガ、サッカーゲームをしたり、はさみ将棋や五目並べをしたりして楽しむようになりました。
■なぜ一緒に楽しむようになったかー楽しませる秘訣―
たとえば、はさみ将棋。
簡単に言えば、気づかれないようにわざと勝たせて楽しませる。
これに尽きます。
ただし、徐々に負ける体験もさせていきます。
一つは負けることへの抵抗力を付けるためと、
時には負けた方が勝ったときの喜びが大きいからです。
また、私がわざと負けていることがバレないためでもあります。
はさみ将棋で、私が相手のコマを取ろうとしてコマを付けると、
A男は「待ってました!」とばかりに、逆に私のコマをはさんで取りました。
本当はわざとなんだけど、
私が「しまった!そこにいたか。」
と言うと、A男は、嬉しそうにしていました。
その表情は今でも思い出せます。
こんな感じですから、ゲームをしていて楽しいわけです。
合わせて、遊びの準備や片づけもいっしょにするなどして、本人も片づけの一部を担うようにしていきました。
◆3 信頼関係を築いた後にしたこと ー徐々に学習を入れる・・・ー
■信頼関係を築いた後は…徐々に合間に学習を入れる
こうして、その子が興味を持った活動に一緒に取り組むことで、私はその子との信頼関係を築いていきました。
合わせて、遊びと遊びの間に入れた漢字や計算の練習―当初は全く見向きもしなかったことーに取り組めるようになりました。
私「少しは勉強しないとさ、校長先生に叱られるから。」と言いつつ、遊びの合間に2分、3分と少しだけ学習を入れていきました。
■仲立ちをして…学級の仲間とも遊べるようにしていく
そして、昼休みに私が仲立ちをすることで、学級の仲間2人(A児と私も入れて4名)と鬼ごっこなどもできるようになりました。
鬼役で大変そうだったら、私は、足が遅いふりをして捕まってあげて鬼役になったり、
本当は簡単に捕まえられるのだけど、なかなか捕まえなかったりしていました。
おかげで、鬼ごっこをしても、いい感じで鬼が交代して楽しいのです。
私は、約半年間、昼休みに鬼ごっこなどをして一緒に遊んでいました。
A男は母親にも「今日は、こんな楽しいことがあったよ」と話をするようになりました。
◆4 劇的に改善した不登校
■2ヶ月経つと、劇的な変化が…
2ヶ月経った頃には、給食を学級で食べるようになり、給食の準備や片付けを自分でして、そのまま5、6時間目が教室にいられるようになったのです。
■清掃や学級行事・学校行事にも参加できるように…
その後、2学期の終わり頃には清掃活動に参加したり、学級のお楽しみ会、ドッチボール大会などの全校行事にも参加したりできるようになりました。
これまでは、清掃はもちろん、イベントなどの楽しい活動にも参加できないでいたわけですから、とても大きな変化です。
■劇的に改善した不登校
さらに2月には歩いて登校するようになり、卒業式にもしっかりと参加できたのです。
最終的には、2学期の欠席は7日間、3学期はわずか3日間で、この子の不登校・保健室登校は劇的に改善しました。
◆5 どんな子もできるようになりたい、わかるようになりたいと思っている
■漢字ドリルを投げていたA男
今でも思い出すのが、漢字10問テストで全問できた時、
「先生、百点て書いて!花丸を描いて!」
と言ったその子の嬉しそうな表情です。
「がんばったね!はい、百点!花丸ね!」
こう言って書いてあげると、
またその子はとてもうれしそうにしていました。
あの嬉しそうな表情は、忘れられません。
この子は、
「漢字なんてできなくてもいい」
「書き順なんてどうでもいい」と言い、
漢字の間違いなど指摘しようものなら、
「あー漢字練習なんかしない!」と言って
漢字ドリルを投げていたのです。
■A男とかかわることで磨かれた、私の教師としての信念
どんな子でも、
できるようになりたい、
わかるようになりたい、
良くなりたい、
そして褒められ、認められたいと
心の奥底ではみんな思っているということ。
このことこそ、私の職業上の確信であり、確固たる信念です。
それは、いわゆる勉強でも、遊びでも、掃除でも……どれもそうです。
表面上の
「嫌だ!やりたくない! できなくてもいい! 分からなくてもいい!」
という本人の言動に惑わされてはならないということ。
それらの抵抗は、
ハードルが高すぎる、
やり方が合っていない、
あるいはまだそれ以前のクリアしなくてはならない課題がある
ということに過ぎないということ。
あるいは、まだ信頼関係ができていないということ。
今回、A男とかかわったことで、心底そう思えました。
◆6 そうなるにはそうなるだけの背景があり、理由がある
実は、A男は、親に見捨てられた子など、家庭に問題がある子が入る「カリタスの家」で生活していました。
だから、A男の「母親」と書きましたが、本当は「母親」代わりの施設の人でした。
A男の父親である男性は、妊娠を知った段階で逃げ去った。
そんな状況では、母親は、愛情をもってA男を育てることが難しくなった。
そこで、祖母が代わりにカリタスの家で暮らすA男と連絡をとっている。
こういう状態でした。
●「またしても、家庭か!」
ずっと前に6年担任を降りたとき、荒れまくっていた4名の子どもたちの家庭がDV等で荒れていたことを思い出します。
家庭の荒れは、学校での荒れに波及する。
現場の教員をサポートするためにも、将来「家庭教育をよくすることにかかわりたい!」という私の決意は、いっそう強くなりました。
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●これ以外にも、若い先生方をサポートしたりしていたのですが、
それがよかったのかどうか、次年度の2年目、そして3年目と拠点校指導教員として、
新採用教員を指導する立場になりました。
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●もう一人、1日1時間、ほぼ個別に見た子がいました。
Sさん(3年男児)で、学習に参加できず、人間関係のトラブルが多かったです。
授業中にしばしば教室を飛び出し、担任はとても困っていました。
関東から、父親によるDVを避けて母子で転校してきていました。
母親は、夫のDVで骨折して救急車で運ばれ、離婚を決意しました。
(逃げてきていたが、離婚協議中であった)
この子も、私がサポートすることで、最終的にはよくなり、次年度からは特別支援学級に入ることになりました。
とても困っていた担任からも感謝され、私はやりがいのある仕事に取り組むことができて、うれしかったです。
当たり前ですが、教師は子どもがいてこそ、教師となれます。
「置かれた場所で咲きなさい」という言葉があるように、
担任を外れた、閑職といっても良いぐらいの状況に置かれましたが、
子どものために、教師としてやりがいのある仕事を達成できてうれしかったです。