◆リード:アキコ(小6)が参加した「笹団子作り」のイベント。主催者から原稿依頼がきた。アキコは取り組んだが、私のアドバイスを嫌がる。どうしたものか!?
2010.8.12 わが子の行事作文を指導する! 第735号
ー忠言は耳に逆らえども行いに利ありー
行事「笹団子作り」の原稿依頼が来る
8月7日(土)の夜9時頃、メールボックスを開くと、次のような文言があった。
「……○△便りの2号に笹団子作りの記事を載せるそうですが、笹摘み・あんこね・団子作りを一生懸命手伝ってくれたアキコちゃんに白羽の矢が立ちました。
アキコちゃんの感じたことを200字位でまとめてね。締め切りは15日。……」
要するに、アキコが(クニコ、タカちゃんといっしょに)参加した「笹団子作り」のイベントの感想文原稿の依頼であった。
アキコ受諾するー作文指導の始まりー
私「アキコ、<笹団子作り>の原稿依頼が来てるぞ!」
妻「アキコに白羽の矢が立ったのよ。」
クニコ「白羽の矢が立つってどういうこと?」
私「<アキコならやればできる人、大丈夫な人だから、作文をよろしく>という意味だよ。」
アキコ(……)
私「こんな時のために、ベネッセの作文コースを取ってるんだろ。(引き受けないでどうする。)」
アキコ(困った風な顔)
私「200字なんて簡単だろ。 笹団子作りが楽しかったなら、『楽しかった笹団子作り』というタイトルにして、楽しかった具体的な様子を書けばいいし、笹団子作りが大変だったなら、『大変だった笹団子作り』というタイトルにして、大変だった様子を書けばいい。」
白羽の矢が立ったアキコは、あきらめて書くことになった。
アキコの書き上げた作文
8月11日夕食前、私の書斎の机上に、出来上がったアキコの作文が置いてあった。
何と、わざわざ「見ないでね」(怒りマーク付き)と付箋がしてあった。
その意味するところは、「お父さんが読むと、<もっとあーした方がいい。こーした方がいい。>とうるさいから嫌だ。見たら怒るよ!」ということだと、すぐに分かった。
「見ないでね!」と付箋がしてあるからと言って、見ないわけにはいかない。私が打ち直して、メールで原稿を送るのである。
アキコは自力で書き上げた作文は、次の通りであった。
『大へんでした。笹団子作り』
私は、この○△村のみなさんといっしょにやった笹団子作りが、とてもいいけい験になりました。私は、家と学校でいちご大福を作ったことがあったので、笹団子はけっこう簡単にできるな…っと思っていました。しかし、実際にやってみると、思っていたより大へんでした。また、地元○△村の人たちは、スイスイとやっていて、おどろきました。いいけい験になって良かったです。
私(うーん、まあ甘くて70点ぐらいか。「実際にやってみると、思っていたより大へん」とあるけど、笹団子作りのどこが大変なんだろう。そこが書いていないから、大変さが伝わってこないな。アキコは私のアドバイスを嫌がっているようだけど、ちょっとアドバイスするか。)
私「アキコ、作文を読むなって書いてあったけど、読んだよ。」
アキコ(ぶすっとした顔)
妻「あのね。作文読むなって言っても、お父さんが打ち直してメールで送るのよ。読まないわけにいかないじゃない。」(笑いながら言う。)
私「あの作文は75点ぐらいだよ。もう少しがんばれば、もっとよくなる。ちょっとアドバイスしてもいいかな。」
アキコ(ぶすっとした顔)←この顔を、私が翻訳すると、(アキコの心=やっと書いたのに、もうあの作文のままでいい。)
その顔を見た私は、先にクニコにやってあげることがあったので、先にそちらをやってしまう。(「アキコは、素直さが少し足りないな。」と思う。)
その間、間があって……。
私「アキコ、あのな、この<しかし、実際にやってみると、思っていたより大へんでした。>とあるけど、この文を読んだ読者としては、笹団子作りのどこが大変なのか具体的に知りたくなるんだよ。」
アキコ「200字だから、もうかくスペースがないの。」
私「(30字程度まだ余裕があるし)200字程度だから少しぐらいオーバーしてもいいんだよ。 どこが大変だったか付け足してごらん。」
アキコ「後でする。」(ぶすっとしている。)
私「今してくれないか。お父さんはそれが終わらないと、打ち直してメールで送れないから。」
アキコ(「特に、あんこを団子につめるのが大へんでした。」としぶしぶ書き足す。)
私「なるほど、あんこを団子につめるのが大変だったんだね。あんこを団子につめることのどんなところが大変だったの。(間)すぐに笹団子の皮が破れてしまうところかい?」
アキコ「うん。」
私「だったら、そう書けばいいね。」
完成した作文
「大変でした! 笹団子作り」
アキコ私は、この○△村のみなさんといっしょにやった笹団子作りが、とてもいい経験になりました。私は、家と学校でいちご大福を作ったことがあったので、「笹団子はけっこう簡単にできるな。」と思っていました。しかし、実際にやってみると、思っていたより大変でした。特に、あんこを団子につめることが、すぐに皮が破れてしまってなかなかうまくいかないのです。地元の○△村の人たちは、スイスイとやっていて、おどろきました。大変だったけど、いい経験になってよかったです。
私「アキコ、こんな風に打ってみたけど、これでメールを送ってもいいかい?」
アキコ(じっと読んだ後、にこっとして)「いいよ。」
かくてメールを送信した。
私「アキコ、お父さんのアドバイスで、一文を付け足してよかったろ。」
アキコ(にこっとして)「うん。」←この表情を、私が翻訳すると、(アキコの心=お父さんのアドバイスを聞いて修正してやっぱりよかった。)
アドバイスの心構え
アキコは、昔から、アドバイスを聞きたがらない傾向にあったが、思春期を迎えてから、その傾向が顕著になってきた。
がしかし、親として教えなければいけないことはまだまだたくさんあるし、アドバイスした方がいいと思うこともある。しかも、今回の場合について言えば、私は小学校教員で、作文指導のプロであり、アドバイスする資格は十分あるのである。
「良薬は口に苦けれども病に利あり。忠言は耳に逆らえども行いに利あり」(孔子)という。
妻は、たまに「アキコ、言ってくれるうちが、はななんだよ。言ってもダメだとなると、そのうち誰も言ってくれなくなるよ。」と言う。
私(おそらく妻も)は、なかなか聞く耳をもたないわが子に対して、多少煙たがられようとダメなことはダメと言うし、教えたり・アドバイスが必要だと思うときは、そうするつもりである。これが親としての基本的なスタンスである。
このスタンスに立ったうえで、教えたり・アドバイスしたりするときには、この「利あり」を相手が実感できる段階ーやっぱり教えてもらってよかった・アドバイスをもらってよかったーまで徹底することを、私は心がけている。言い換えれば、教えたり・アドバイスしたりするうえで、これがコツであり、要諦であると考えている。
誰しも、「苦さ」は嫌だし、「耳の痛い話」は聞きたくない。がしかし、「お父さん(お母さん)の教え・アドバイスに従ったら、やっぱりよくなった、うまくいった」(従わなかったから、大変な目にあった。)という利のある経験を重ねれば、やっぱり聞くようになるはずである。
私は、それを信じて、これからも、教えたりアドバイスしたりするつもりである。