―法則化&T O S Sと共に歩んだ教職人生37年を振り返って その24―
◆学級懇談会である保護者から批判されて自殺した独身男性
25年ほど前に、自宅から車で15分の小学校で、30代の男性教諭が自殺したことがあった。
当時、たまたま市内の自動車屋さんに行ったら、この件が話題になっていた。
自動車屋さん「H小の教員が自殺した日は、学級懇談があった日で、ある保護者がバンバンとその担任を批判したんだって。 保護者の間では、あの保護者が殺したといううわさになっているんだって。」
私「そうなんですか。」
その後、別のある人から、「子供たちが反発していて、管理職も同僚も、その教師を責めることはあっても、何も助けなかったみたいだよ。」という話を聞いた。
「(子供に反発され、保護者にも責められている)そういうつらい時こそ、管理職として同僚として支えなければならないのに、これじゃあ管理職失格だなあ。」と、そのとき思った。
当時の新聞等によれば、その30代の男性教師(独身)は、アパートで首つり自殺をする直前に母親に電話していた。そして、その3、4時間後に自殺したのだという。 自殺した教師の母親は、くやしくてたまらなかったに違いない。
私は、そのとき、「子供たちと保護者、職場の上司・同僚そして家庭のどれ一つとも支えてくれなければ、まさに四面楚歌で自殺しかないのだろうな。」と思った。
◆【なぜいじめに耐え抜くことができたか!? その1 】
2011年(平成23年)4月、50歳の私は、三条市立南小学校へ転勤し、特別支援学級の担任となった。そこで、53歳までの3年間勤務することになった。
ここで私は、約1年3ヶ月にわたって、すさまじい職場のいじめ・逆パワハラを受けたことは、前回まで3回に分けて書いた。
今回からは、すさまじい職場のいじめの中にあって、
◎【なぜいじめに耐え抜くことができたか!?】
について書く。
■【いじめに耐え抜くことができた理由】 いい加減、いじめの話も聞き飽きてきたと思うので、どうして1年3ヶ月にわたったいじめに耐え抜くことができたのか、考えてみたい。 第一に、家族の支えである。いじめられたことを全部言っていたら切りがないので、あまりに耐えかねることについては、「今日はこんなことがあった。」と弱音というか愚痴というか怒りというかを家族に話した。
家族と言っても、実母にはあまり心配させたくないし、子どもにも心配させたくなかったので、妻が中心であった。 ●妻は、 ・「信じられない。」とか ・「指導員の分をはずれているわ。」とか
・「その場に行って、主任もいっしょに蹴っ飛ばしてやりたい!」とか、
言っていた。普段はおとなしい妻には、ふさわしくない言動だが、私への愛情を感じることができた。 ●長女アキコも、心から心配してくれた。
(子どもにまで心配をかけてすまない。) ブログ記事「2013.3.3 心温まる誕生日プレゼント&手紙 第954号」で紹介したように、アキコは、
・「手作りプリン」(布製)に
・手紙を添えてプレゼントしてくれた。
手紙には、次のように書いてあった。
■アキコの手紙
誕生日おめでとう! 誕生日プレゼントは、お父さんがストレスで甘いものを食べすぎないように、そのかわりとなる「手作りプリン」をおくります。
この置き物を見て少しでもストレスを解消してください♡
そして、これからもお仕事頑張ってください。アキコも勉強、頑張ります!
アキコより
私「うーん、とってもうれしいけど、この「手作りプリン」を見ると、<寝た子を起こす>というか、かえって食べたくなるかもな~。
でも、アキコの(お父さんの健康を考える)気持ちがうれしい!ありがとう!」
誕生日会を終えて書斎に戻り、ゆっくりと何度もアキコの手紙を読んでみた。
アキコは、私が最近職場のストレスで甘い物を食べ過ぎていることを知っていた。<甘い物の取り過ぎは身体によくない>ということを学んで知っているアキコは、毎日のようにシュークリームやチョコレートなど甘い物を食べていた私を、心配していたのだ。
💕「心配してくれて正直うれしい!」
かくて翌日の今日、スターバックスでコーヒーを注文した際、ドーナツやケーキの類いは注文しなかった。
アキコの「手作りプリン」に込められた気づかう気持ちを考えたとき、「甘い物は控えよう」という気持ちが自然に生じたから。
アキコの「手作りプリン」(布製)のプレゼントがなければ、きっとドーナツやケーキの類いも注文していただろう。
つまり、アキコの「手作りプリン」は、すごい威力があった! わけである。
人間やっぱり自分のことを心配してくれる人がいて、初めて自分も気をつけよう(自分を大事にしよう)と思うのかもしれない。……以上ブログ記事第954号http://kazoku.blog.so-net.ne.jp/2013-03-04
●もちろん、次女クニコも、実母も、みんな心配していた。私のことを気づかい、支えようとしてくれていた。
たとえば、妻はよく私の食べたいメニューの料理を作ってくれた。
この1年3ヶ月のもの長い間、このストレスフルな職場にあって、あたたかい家族の気づかいは本当にありがたかった。
職場のいじめに耐えることができた第一の理由は、間違いなく
◎【あたたかい家族の支え】であった。
「家族は、最も身近にある最強のセーフティーネット」であった。(続く)
※ あと2つあるのだが、次で紹介する。
※ 今、思い出したのだが、自宅宛に、行ったこともないバーのホステスらしき人から、葉書がきたこともあった。 この間、お店にお越しいただきありがとうございますとか何とか書いてあって、
私がそういういかがわしいところに行っていることを示唆するような文面であった。
妻は信じなかったが、長女は心配した。
投函した場所は、その指導員さんの住む市からであった。他に心当たりはないので、おそらくはその指導員さんが家族を破壊する目的で投函したのだろうと推測している。
ここまでやるか!
※ この辛い時期、長女と約束したディズニーランドに行ったこともあった。
関心のある人はこちらへ↓ 約束を守るためとはいえ、頑張ったと思う。
▶https://kazoku.blog.ss-blog.jp/2014-02-08-1