★7日に倒れて救急車で脳外科へ搬送・入院。脳梗塞・認知症と診断。その後、要介護申請・デイサービスの利用まで、怒濤の3週間の記録【その2】
12月7日(月)0:30頃の真夜中に実母が倒れ、救急車で脳外科に運ばれた。
「小脳梗塞」「頭部胸部打撲」と診断され、2週間の入院(予定)となった。
12月9日(水)午後、担当医からの話を聞くべく、私は看護休暇を取り、病院へ向かった。
医師の診断を聞く ー要介護申請をした方がよいと言われるー
約束の午後2時過ぎから約30分間、医師と話した。
医師「うちでの処置は終わったよ。幸い元気で歩けるし、退院は早いほうがいい。」
私:ありがとうございます!
では、明後日金曜日の午後2時でもいいでしょうか。
医師「いいよ。明後日金曜日ね。
認知症がひどいね。よく家で介護できていたね。大変だったでしょう。」(<認知症で近時記憶障害>という診断が追加されていた。)
私:うーん、大変と言えば、大変でした。
医師「よく動くし、何度も同じことを聞くし、こういう場合、たいてい薬漬けにするよ。」
私:薬漬けですか。
医師「そうじゃないと、とてもみきれない。うちでもそうだよ。
うちの母親と同じ(症状)だ。同じこと何度もくり返すし、つい身内だと怒って言い合いになったりして大変なんだよね。
介護は第三者が入った方がいい。介護申請した方がいいよ。
(認知症を診てもらっている)S医師に書いてもらったら。」
私:「精神科は嫌だ!」と言って、本人が行くのを嫌がることがあるから、ここで書いてもらえるとありがたいです。
医師「S医師は、ボクも知っているけど、介護申請とかこういうところが弱いよね。いいよ、ボクが(申請に必要な医師の所見のようなもの)書いてあげる。」
(凄まじい速さでパソコンに向かって文章を打っている担当医師)
医師「もう少し長い入院ならうちで詳しく調べて申請できるようにしてあげるけど、明後日金曜日に退院だから、あとはケアマネジャーに家に来てもらって審査してもらって。
(同席していた看護師に向かって)あとで市役所の担当のところへ連絡してあげておいて。」
看護師「はい。私の方で、市役所の担当のところへ連絡しておくので、必ず市役所によってくださいね。」
私:はい。
医師「薬を出しているけど(固まりやすい血液を中和する働きがあるバイアスピリン錠など)、(認知症を含めて)どの医者に引き継いだらいい? 近くのかかりつけ医のN医師でいい?」
私:N医師は、認知症の専門でないから、結局他に回すしかないんです。S医師でお願いします。」
その後、母が連れてこられた。
母はここは居心地が悪いから、すぐにも退院したいふうなことを言った。
私:お母さん、この病院のおかげで命が助かったんだよ。そうじゃなければ、今頃死んでいたかもしれないんだよ。感謝が足りないよ!
こう言った後、明後日金曜日に退院できることを話した。
母は明後日退院と聞いて落ち着いた表情になった。
医師は、母に向かっても、介護申請をしてもらった方がよいと話した。そして、デイサービスを受けた方が退屈しないでいいよとも。
幸いなことに母は、「自分の知っている人も、たいてい受けている。」と言っていた。
3時少し前、病院を後にし、そのまま市役所に向かった。
要介護申請する旨を伝えるためであった。(続く)
■追記
○歯医者、眼科、整形外科(膝・骨粗しょう症)、かかりつけ医(不眠症・高血圧)、認知症と5つに医者に通っている。同じことを何度も聞いてくるし、イライラしていることもよくあるし…。歯医者と認知症は、できるだけよい医者を探し、家から1時間のところにしたので、私が車で連れて行く。土曜日の日中4、5時間使う。だから、大変と言えば大変。だけど、身辺自立はできているし、何よりも大切に育ててもらったという感謝と恩返しをしたいという強い思いがあるので、私はあまり大変さを感じてはいない。
○7日の午後、母の親友のTさんに電話で、<母が夜中に倒れて救急車で運ばれ、緊急入院した>ことを話した。1週間に2,3回家に遊びに来る、近所に住む唯一の親友(ここ10年たくさんの親友が亡くなった)なので電話が繋がらないと心配すると思ったので。
Tさん「こんなふうにならないようにずっと祈っていたのに……。」
倒れて入院したことをしったTさんは、電話口で涙ぐんでいた。