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もし高齢の親(同居)が突然倒れたら ー救急車で運ばれた実母ー

★7日に倒れて救急車で脳外科へ搬送・入院。脳梗塞・認知症と診断。その後、要介護申請・デイサービスの利用まで、怒濤の3週間の記録【その1】

1.深夜倒れていた実母

同居している実母が12月6日(日)深夜0:30頃(正確には7日)、倒れた。

二階で寝ていたら、「バタン!」と音がしたので、もしやと思い、一階に行ったら、裏口玄関のコンクリートのところに実母が倒れていた。頭や腰を打ったようだ。

私「何でこんな夜中にこんなところを歩いていたの!」(トイレへ行く途中ならまだしも)

と言いつつ、実母を抱き起こそうとするが、実母は痛くて動けない。
気温は10度未満。すぐに布団を持ってきて実母にそのままかけた。

そして、寝ていた妻を起こして呼んだ。

妻「頭を打ったときは、無理して動かさない方がいいのよ!」

と言うので、すぐに119番して、状況を説明し、救急車を呼んだ。
倒れたときは意識はあったが、実母はうつうつとしてきた。

2.救急車到着

15分ほどして、救急車がきた。
救急隊員は、3名であった。
実母を担架に乗せて救急車に運び入れた。
私は同乗し、隊員にいろいろと聞かれた。倒れたときの状況、飲んでいる薬、通っている医者…。
隊員は、血圧・心拍数などをチェックして、外傷がないか調べていた。実母に「痛いところはないか。」と問いかけていた。肋骨の辺りを押されると痛いと言っていた。
頭部にこぶが見つかり、結局脳関係の病院に行くことになった。
A医院、B医院と断わられて、結局C脳外科医院に搬送されることになった。
この間、約1時間。1時半頃のことである。
C脳外科医院は、自宅から車で約1時間のところにある。
C脳外科医院に向かっている救急車に同乗した。
県外に行っていないかなどコロナ関連の質問も受けた。
乗車中、母は手をぶらぶらさせて辛そうだった(担架の上で幅が狭い)ので、ずっと手を握っていた。大丈夫であることを祈りながら。

3.C脳外科で救急治療

2時半頃にC脳外科に着いた。
MRIを撮ったり、採血したり、点滴を受けたりしていた。
私はずっとその間、廊下にいた。
実母が大丈夫であることを祈りながら。
午前4時過ぎ、医師から「小脳梗塞」「頭部胸部打撲」と診断された。
認知症の治療を受けていることは、話していたのだが、
「認知症でしょう。すぐにわかる。」
と言われた。
その後、看護師から入院についての説明があった。
お金は1日5千円ほどかかるが、個室を選んだ。
推定される入院期間は2週間であった。
看護師からの説明が終わったとき、午前5時を回っていた。
きっと実母が目を覚ましたら、どうして病院にいるのかがわからず混乱するだろうと思ったので、「倒れて救急車で病院に運ばれたこと・また来るから大丈夫なこと」などのメモを書いて、看護師さんに渡してもらうことにした。

4.ボクだけ帰宅・出勤・午後面会

その後、タクシーを呼んで、約1時間かけて自宅に帰った。
帰宅時間は、午前6時半であった。
1時間だけ年休を取り、9時頃出勤。
午前中授業をし、昼食後、看護休暇を取り帰宅した。(私は小学校の教員)
2時間ほど寝た。3時過ぎ妻が帰宅してからいっしょに入院に必要なものをそろえた。
私は飲んでいる薬をまとめ、実母が退屈しないように、アルバムを用意した。この3日間ほどの新聞も持っていくことにした。
4時半頃、病院に着いた。
コロナで面会禁止とあったので、きっと会えないだろうと思っていた。
ところが、ナースステーションで車椅子に乗って点滴を受けている真っ最中だったので、ガラス越しに顔を合わすことができた。
看護師さんに入院に必要なものータオルとか着替えとかーを渡した。
入れ歯だけ忘れてしまったので、後日持っていくことになった。
最後に実母は笑顔で手を振ってくれた。

その姿を見たとき、心底「よかった!」と思った。

8日(火)の夕方、電話があり、担当医師から話があるので来てほしいとのことであった。

9日(水)午後2時面会の約束をした。9日午後、私は看護休暇を取り、病院へ向かった。(続く)

*あの「ばたん!」という音に気づかなかったら、気づいても下に行かなかったら、実母は大変なことになっていた。気温10度未満で、寝間着のまま倒れていたら…。あの音に気づいたのは、私だけだったのだが、本当に感謝したい。

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