◆リード:今から約3年前、新潟県中越地震に遭遇した。すさまじい地震であった。その時の対応や学んだこと等について書いた。
2007.7.29 ★新潟県中越地震の実体験
ー14年間で1200号を達成したブログ「あったかい家族日記」第852号 よりー
平成16(2004年)年10月23日(土)午後6時少し前、私は震度6強の地震を体験しました。
この記事を書いている今から約3年前のことです。
当時は、勤務校の長岡市立K小学校の近くに家族4人アパートを借りていました。
金曜日ないし土曜日に実母のいる自宅に帰り、日曜日にまたアパートに帰るという生活を続けていました。
🔶1凄まじい地震震度6強発生ー本棚が倒れてくる…ー
地震当日は土曜日でしたが、妻と子供2人は、一足先(およそ1時間前)に長岡市外にある自宅に帰っていました。
私はやり残しの仕事に区切りをつけ、そろそろ自宅に帰ろうかと思ったのですが、その時のことでした。
突然ぐらぐらっと大きな地震が来ました。
私「うわっすごい!(地震だ)」
私は、すばやく机の下にもぐっりました。
(調理していれば、火を消していたと思います。)
本当にすさまじい揺れです!
ほどなく本棚が倒れてきました。
「本棚が倒れたということは、震度6を超えたな!」
ファーザーの机の上を本棚と物干し竿が直撃しています。
幸運なことに物干し竿は机上のパソコンを直撃していたのですが、
たまたまパソコンの上に段ボール箱が置いてあったので、
それがクッションとなり無事でした。
災害では運もあります。
蛇足ながら、この電動鉛筆削り機はガムテープを貼られ、現在の私の書斎で、現役でがんばっています。
地震が一応おさまったところで、アパート前の駐車場に避難しました。
そして、車の中でおとなしくしていました。
他のアパートの人たちも外の駐車場に集まってきました。
よせばいいのに、一人の男性が荷物を取りに(?)アパートに戻ったのです。
やっぱりというか、すぐに余震が来ました。特に10分ぐらい後には、すごい地震が来たのです。
幸い無事でしたが、アパートに戻った男性は大変でした。
(水槽が大揺れして…とか、いろいろ言っていました。)
本震で家屋が大きなダメージを受けたところで、だめ押しという感じの余震で倒壊するケースもあったので、本当に幸いでした。
(数日後、悠久山方面を車で見てみたら、2階建ての家なのに、1階が潰れていた家屋を何軒も見ました。)
🔶2小学校は大丈夫ー地域の避難所にー
落ち着いてから、勤務校の様子を見に行きました。
幸い勤務校は無事でした。
勤務校には、近所の人たちがぞくぞくと避難していました。
体育館にぞくぞくと避難した人たち。
体育館だけでは足りずに、児童玄関のくつ箱の間にも……。
妻と子供たちは、帰宅途中の車の中で地震に遭ったと言いました。
運転中、少し揺れ変だと感じただけで、無事だったそうです。
その日の夜遅く、私は地割れのある道路をくぐりぬけるようにして、自宅に戻りました。
🔶3「日頃の避難訓練&教育の成果」ー学校は安全な避難所ー
🔹ビデオ学習の成果
さて、勤務校では、9月に避難訓練と合わせて、地震が起きた際の避難の仕方のビデオを上映していました。
(当時の防災担当は、私でした。)
だから、「子供たちは、家族の中で一番早く、テーブルの下などに避難した」と、後日保護者たちから聞きました。
私もそのビデオの通りの対応、つまり机の下にすぐに入りました。
これが正解で、写真のように本棚が倒れてきても、無事でした。
ちなみに地震のビデオ映像では、震度6になったら本棚が倒れてきていました。
それが現実となったわけで、やっぱり震度6強でした。
🔹地域の避難所になった学校…
地震後、勤務校は地域の人の避難所になりました。
2週間程、地域の人100名以上が寝泊まりしていたと記憶しています。
私自身も、休日、体育館にいる被災者のために、おにぎりやパン、飲み物などを配りました。
私の住むアパートは、幸いなことに倒壊することもなく、
ほどなくガスも復旧して、住むことができるようになりました。
(車で30分以内のところでは、何軒も倒壊していた家屋を見ました。)
長岡市外の私の自宅は、震度4でかなり揺れましたが、大丈夫でした。
アパートに入居する際に入った地震保険のおかげで、約20万ほどお金が入りました。
入ることにしてよかったです。幸いそれで、被害の補償には十分間に合いました。
🔶4今回の地震での学び
①ビデオ等での学習は有効である(火を消す、机などの下に隠れる……)
②学校は頑丈にできている。学校から避難する必要はない。
11月になり、授業が再開されてからも、震度5クラスの地震が来たが、机の下にもぐるだけで避難はしなかった。
学校は安全だからである。
学校から避難するのではなく、学校へ避難するのである。
③保険はありがたかった。
その後、自宅家屋の地震対策として2階の重い物をできる限り1階に運びました。
2階に重いものを置くと、倒壊しやすいからです。
重いミシン、山ほどある本等々。
重量は半分以下になったと思います。
🔶5『巨大地震発生!そのとき企業はどうすべきか』より
Just2006年12月号船井幸雄のホンモノ実践塾(CD収録)は、インターリスク総研総合リスクマネジメント部長小林誠氏による
『巨大地震発生!そのとき企業はどうすべきか』でした。
そこで、小林氏が次のように言っていたことを思い出しました。
小林「役所には、必要な物(食料・水・寝具など)は備蓄されてあるんです。
ただ、役所が稼働し始めるには約3日かかるんですね。
だから、それまでの食料などを用意しておく必要があるんです。」
※ また、小林氏は、女性はオフィスにスニーカーを用意しておくことをすすめていました。
ハイヒールなどでは、避難しにくいとのことです。
当時これを聞いて、私は
「よし! 我が家も3日分の食料・水など震災に備えた物品を用意しておこう!」
と決意しました。(その後、物品の用意に半年以上もかかってしまった。)
このボーナスで揃えようと思っていたのでしたが、ようやく今日揃え終えました。
考えてみれば、ボーナスまで待って準備するほどの金額はかかりません。
内容にもよりますが、約2,3万ほどです。
地震などに備えておくことは、家族のリーダーたるものの責任です。
いざという時のために、きちんと対策をとっておきたいですね!
※ 我が家の具体的な対策は、次号の予定。