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90歳の母、今後3年間の介護ビジョン!

《読み始める前に》

2025年10月をもって、実母は卒寿(90歳)を迎えました。
2018年1月6日に認知症の専門医に通い始めて、8年が経ちました。
アルツハイマー型の認知症の母は、ゆっくりですが、進行しています。
これまでの経過を冷静に振り返りながら、今後3年間の介護のビジョンを創りました

パパの子育て奮戦記:大人になってから編 第7号

長女アキコ(27歳)、次女クニコ(23歳)、ママ、パパ(私)、祖母(90歳)


初めて認知症の専門医に診てもらうーアルツハイマー型の認知症と診断されるー

今からちょうど8年前(母82歳)の、2018年1月6日に認知症の専門医に診てもらいました。

◆専門医に診てもらう前の様子①「月謝のトラブルから書道教室をやめる」

大方の高齢者と同様、なかなか診察に行きたがらない母ですが、
家族の中では、物忘れが気になる状態でした。
80歳でも書道教室をやっていたのですが、「塾の月謝をもらった、もらわない」でトラブルが発生し
(もらった記憶を覚えていられない)、結局、書道教室はやめました。

一方、車に乗せてもらった孫(私の娘)は、「あーちゃんの運転は危ない。」と言っていました。

そんな中で起こったのが、母の自動車自損事故でした。

◆専門医に診てもらう前の様子➁「自動車自損事故から車の運転を諦める」

2017年6月7日(母81歳)の深夜11時過ぎ、電柱に衝突するという自損事故を起こした母。
ものすごい衝撃音がしたそうで、車1台ダメにしました。

駅前だったので、衝撃音を聞いたタクシーの運転手が救急車を呼んでくれました。
私も救急車に同乗し、手を握りながら、無事を祈ったのを思い出します。
目を閉じている母を見ていて、無事を祈りながらも生きた心地がしませんでした。

診察の結果、硬膜下出血があり、約2週間の入院となりました。

本人は衝突のことを全く覚えておらず、
以前から「運転が怪しい」と思っていたので、
車が全損になったことを機会に、母を説得した結果、自動車の運転はやめることになりました。

◆コウノメソッド療法をする、認知症の専門医へ

私は、認知症の本を20冊ほど読み、認知症へは「コウノメソッド療法」がよいのではないかと思い、
県内で当時唯一コウノメソッド療法をしていた、M市のS医師に診てもらいたいと思っていました。

繰り返し説得を続けた結果、ようやく母をS専門医に診てもらうことができました。

「フェルガード」という日本認知症予防学会第1号認定サプリメント(自由診療のため保険は効かない)も
処方されたのですが、それを飲んだ母は、「頭の中にあったもやが取れた感じがする」と言いました。

つまり、効果を実感した母は、以来ずっと「フェルガード」を飲んでくれています。

とはいえ、車で片道約1時間かかる遠いところでもあり、通うのは容易ではありませんでした。
ですが、以来8年間ずっと通っています。
ただし、4週間に一度の診察ではきついので、2年ほど前から6週間に一度にしてもらっています。

真夜中に倒れたことから、要介護1認定、そしてデイサービスへ

2020年12月7日(母85歳)、真夜中に「トン」というような微かな音で目が覚めました。
起きて音のした1階へ行こうかどうか、一瞬迷ったのですが、行ってみました。

そしたら、なんと母が勝手口の玄関に倒れていました。
「なんでこんな夜中に!』(トイレの近くならわかるけど)

よく見ると、頭から血を流しています。
すぐに救急車を呼んで、こちらも1週間の入院となりました。

入院中の母

そこで、入院先の医師から、認知症なのだから、デイサービスの利用を勧められました。
入院先の医師から正式に診断を受けて、必要な手続きをして、要介護1の認定を受けました。

👉 ゼロから要介護認定、デイサービスを受けるまでの10のステップ

デイサービスの利用が始まりました。

デイサービスの利用についても、すごい抵抗がありました。
👉 母、初めてデイサービスに行く ー激しい抵抗を乗り越えてー

2021年9月、ママ友のいる今も通っているT施設に移ってからは(85歳)、抵抗なく通っています。
当初は、週2回からスタートしたのですが、親友も次々と亡くなった数年前から、月・水・金の週3回通っています。

朝9時半ごろ自宅までデイサービスの車が迎えに来てくれて、そのまま施設で昼食も食べて、夕方5時ごろにデイサービスの車が送って来てくれます。
親友が次々と亡くなり話相手が近くにいない現在、デイサービスに行くと話し相手がいるので、喜んで通っています。

現状、身辺自立は維持できている一方、物忘れは半端ない

さて、85歳で正式に認知症患者として要介護1認定を受けてからの、この5年間の変容を簡単にまとめてみると、

◉身辺自立(衣服の着脱・洗面・歯磨き・食事・入浴・歩行)は、一人でできている
しかし、診断から8年、要介護認定から5年経ってみると、能力が低下している

こう言えます。

詳しく分析すると、

・通院:現在認知症専門医のS医師のところ、H歯科医(片道1時間)、市内の整形外科(骨粗鬆症のため)の3箇所に定期的に通院している。市内のN医師のところにも高血圧等で通っていたが、S医師のところにそれも集約した。
以前は、市内の整形外科は自分で歩いて行っていたが、そこも私が車で送迎をするようになった。さらに、診察の際も付き添って、話の受け答えをサポートするようになった。

・服薬:以前は自分で管理すると言って聞かず、カレンダーに薬を入れて自己管理していた。飲み忘れもかなりあったげ、容認していた。しかし、重ね飲みがあったので、一昨年の年末からは、私がその都度薬を出して管理している。

・お金の管理:自分で銀行のATMからお金を引き出して、年金を自己管理していた。3、4年前から、高齢の母だけでは防犯上も不安なので、一緒にATMに行き、お金を下ろしていた。2年ほど前からは、暗証番号を思い出せなくなってしまい、私が暗証番号を押すようになった。去年からは、私が一人で行き、必要な額のお金を下ろして、母に渡している。

・買い物:以前から、通院の帰りなどに買い物に連れて行っていたが、基本自分で近くや駅前のスーパーまで歩いて行って、自分で買い物をしていた。ただ、冷蔵庫にすでにあるものを繰り返し買ってくるので、困った。
今は、駅前の歩いて片道15分のスーパーはきついので、歩いて5分のスーパーで買い物をすることがある。レジの人のサポートを受けながら、なんとか買い物ができている。牛乳など、必要な買い物を逆に忘れるようになったので、私が週1買い物に連れて行くようにしている。

洗濯:以前は自分で洗濯機を回し、自分で干すことができていたが、洗濯機を使えなくなった(ボタンを3箇所押せばいいだけなのだけど)ので、私が洗濯機のスイッチを押し、あとは母が自分で干して取り込んでいる。

衣服の着脱:幸いなことに、一人でできる。しかし、着替えが難しい。何度も同じ下着を着る。声がけぐらいでは、難しく、「脱いだからここに入れて!」とボックスを置いてもダメだった。
友達で介護職に就いている人に相談したら、「入浴している間に、そっと新しい下着と交換してあげるといいよ」とアドバイスをもらった。以来、週3回、デイサービスに行く日の前日の入浴の際に、そっと新しい下着に取り替えている。

食事:朝食は以前はパン食だったが、胃潰瘍で血を吐いて以来ずっと、私が作ったお粥(と言っても、椎茸、昆布、納豆、ブロッコリー、黒ニンニク、ミニトマト、万田酵素などが入っている)を一緒に食べている。
ついでに書いておくと、調理は基本しないが(夕食は妻が作っている)、カツ丼だけは私がサポートすれば作ることができている。あと、果物を切ることも、頼めばできる。(通常、妻が朝に切ってあげているが)

歩行:2年ほど前までは、駅前まで往復30分歩いていたが、近年は近くのスーパーが限界。それでも、杖なしでサクサク歩ける。

趣味:若い頃は、編み物の教師(一時期は夫よりも稼いでいた)、60歳ごろから20年ほどは、書道の教師として教えていた。介護施設にミシンで雑巾を作って寄付したこともあったが、ここ数年はやっていない。書道教室をやめてからは、自分から書を書くことはしていない。(勧めているのだが)。
その代わり、生花だけは(母親が生花の教師だった)、ずっと続けている。ピアノも習っているわけではないが、時々弾く。草花が好きで、水やりなど世話している。金魚の餌やりもしていたが、去年3回も死んだので、今は休止。この4月からまた飼い始めようと思う。

貢献(お手伝い):本人も健康をできるだけ維持したいと思っているようで、食器洗いを手伝うようにしている。
あと、家の周りの落ち葉はき草花への水やりなども、母の仕事になっている。

会話:同じ会話を繰り返す傾向があるが、付き合ってあげている。まだ、その時、その時では、常識的な判断ができている。

記憶:結婚式に出たのに、いまだに「アキコ、結婚したんだっけの。」とか、「クニコ、就職したんだっけの。」と言ってくる。一昨日、帰省したクニコとの会話で、「クニコ、大学3年生だったかの。」「いや、卒業して就職しているよ。」とわずか10分の会話に3度も出てくる現状である。朝食を食べたかどうかも、覚えていない。

というわけで、できなくなっていることは確かにあるが、身辺自立が維持できていることは、とてもありがたい。

◉もう一つの問題は、友達が亡くなってしまったことだ。

幼馴染で大親友だったTさん、親友だったMさん、ママ友だったKさん他、みんな亡くなってしまいました。

Tさんは、車で5分のところに住んでいたので、連れて行くか連れてくれば、デイサービスと同じで1日安心でした。
だから、週2回ほど連れて行くか連れてくるかしてあげていました。

Tさんが亡くなった後は、Mさん(車で15分で遠くなったけど)を連れて来ていました。

Mさんも、亡くなり、今最後に残っているのが、車で片道30分のところに住んでいる同級生のHさんです。

こちらは、2ヶ月に1度ほど私が車で連れて来ています。相手も同い年なので、長生きです。

こういうわけで、話し相手は、デイサービスに来ている人になります。

ただし、その中でもAさんが、考え方は境遇も同じで、話が合うそうです。

今後3年間、母の生活のビジョン

母の現状:一人で着替える・一人で入浴できる・自分で食事ができるなど身辺自立はできているし、徘徊することもなく、デイサービスに週3日通い、生花等の趣味、食器洗いなどの貢献もできている。家の周りや近所への散歩・片道5分ほどのスーパーで買い物ができる…。

一方で、ゆっくりでも着実に認知症が進行している現状で、今後3年間のビジョンをどうするか?!

今後3年間のビジョン:

◉自分のことが自分ででき、生き甲斐もあり、家族の貢献もし、楽しみの機会もある。

具体的に言えば、

◉身辺自立ができていて、簡単な貢献(食器洗い・カツ丼作り・生花や草花への水やり、落ち葉掃き)ができ、趣味(生花・草花の世話)や買い物もできる状態をできるだけ維持する。誕生日祝いや外食、同級生のHさんや、孫たちにも定期的に会うなどの楽しみもある。

いずれ自分でトイレに行けなくなることになるかもしれませんが、寿命が決まっているとすれば、寿命のほとんどを今の状態で維持するということです。
入院生活での母の退屈ぶりを見ていると、とてもじゃないけれど、寝ているだけの生活には母は耐えられないと思うのです。(誰しも嫌でしょうが)

ビジョンを実現するための方策

①身辺自立(食事・排泄・着替え・歯磨き・入浴・化粧)ために
👉 着替えは、入浴している間に、新しいものにかえておく。
後は、栄養のバランスの取れた食事を用意すること、化粧品や歯磨き粉など買っておく。

②家庭内で貢献:料理⇨カツ丼、食器洗い、洗濯物を干す、落ち葉を掃くなどのために
👉 カツ丼は火を使うので目を離さず材料を準備する
食器洗いには感謝する
洗濯物は声がけしたりこちらで集めて洗濯する、干すところはやってもらう
落ち葉を掃く、草花の水やりは声をかける・感謝する

③趣味&生きがい:園芸・生花・読書・金魚・ピアノ・同級生Hさんとの交流のために
👉 草花を一緒に買いに行く、生花を用意する、本屋に連れて行く、金魚を買ってくる、同級生に連絡を取って連れてくる

Screenshot

④通院&会食:歯医者・認知症の専門医・整形外科//ランチ
👉 医者に連れて行く。ついでに一緒にランチしたり、買い物をする。

⑤週1回の買い物をする・自分でも買い物をする
👉 買い物に連れて行く・買い物できるお金を渡す

⑥デイサービス月・水・金の週3回に加えて、1月から月1回だけ土曜日もデイサービスを利用する。
4月からは月1回だけショートステイも利用する。
※ 将来も見越して月1回のショートステイの利用もする。

これ以外に、散歩などの運動を促す声がけや、おやつや食事に際によく話しかける、「甘いお菓子を食べすぎないような声がけ」などの食生活の管理も適宜する。

ざっとこんなところでしょうか。

最後に一言

母の人生のフィナーレのこの時期を共に笑顔で終えるように決意して過ごす。
母のことで泣くかわりに汗をかく。
今が最も恩返しができる時期だから。

今の状態ならば、私のサポートでなんとかなります。
しかし、これにトイレの世話、着替えの世話、食事を食べさせる世話まで入ってきたら、ちょっと難しくなります。
要介護度は上がり、ショートステイの回数も増えることになるでしょう。

さらに母が施設に入ることになったら、定期的に会いに行くことぐらいしかできません。

そう考えると、やはり今が最も恩返しができる時期なのです。

未来のことは誰もわかりません。
どうなろうとも、母の安全・安心と尊厳が守れた生活、自立したうるおいのある生活を維持していこうと思います。

これ以外に大切なこと3つ

1. 今後の認知症の進行にどう備えるか

①介護サービスを増やす…現状は、月・水・金の週3回です。
合わせて3ヶ月に1回ほど、東京の娘たちのところへ行くときなど、2泊3日程度のショートステイをお願いしています。この1月からは、月1回は土曜日もデイサービスを利用して、4月からは月1回はそのままお泊りのショートステイをする予定です。

②排泄介助(たとえば転倒をきっかけに動けなくなったなど)や入浴、食事の介護などが必要になったなど場合は、あらためてケアマネさんと支援体制を見直していきます。

2. 介護サービスの「出口戦略」

自分で自分のことができなくなった場合など、現在通っているT介護施設のショートステイの利用入居施設に入ることも考えられます。ただし、あくまでそこに頼るのは最終的な手段と考えています。

突然交通事故に遭ったとか、転んで骨折してしまったなどのハプニングがない限り、デイサービスを週4回にするとか、ショートステイを毎週土日にするとかの体制に少しずつ少しずつ移行していくことで対応できると思います。

母はショートステイを嫌がるので、できるだけ自宅にいながら過ごせる期間を長く取ってあげたいと思っています。

3.介護者自身のケア

私が倒れると、実母の介護体制が根底から崩れます。ですから、私自身が元気でいる必要があります。
それは私も意識していて、実母がデイサービスに通っている月曜日と金曜日の日中は、温泉に行ったりしてリフレッシュするように心がけています。また、この月・金は、自宅で開いている、発達凸凹な子ども専門の学習塾ミラクルも、お休みにしています。

妻は、現在も月曜日から金曜日まで勤務していて、土曜日または日曜日は家から車で5分のところにある実家に行き、93歳になる母の介護をしています。掃除や買い物のサポートが中心です。

この妻のためにも、今年1月からは月1回土曜日も、デイサービスを受けるようにしたのです。

 

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