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母、初めてデイサービスに行く ー激しい抵抗を乗り越えてー

★7日に倒れて救急車で脳外科へ搬送・入院。脳梗塞・認知症と診断。その後、要介護申請・デイサービスの利用まで、怒濤の3週間の記録【その9】

妻:絶対に行かないよ!

ボク:いや、行くことになる。なぜって、それが実母のためになることだから。

妻:無理、絶対に行かないよ! もう少し体が弱ったら行くかもね。

ボク:いや、今日は絶対に連れて行くよ!

25日(金)はデイサービスの初日だったが、「頭が痛いから」とか言って、結局お断りの電話を入れることになった。今日27日(日)は2度目のデイサービスへのチャレンジである。

1.激しいやり取り その1

ボク:お母さん、今日はデイサービスに行く日だよ。8時15分頃、迎えのマイクロバスが来る予定だから支度して。

母:頭が痛いからダメだて。行ける状態じゃない。断ってくれ。

ボク:いや、今回は断らない。(前回は断った)

母:(キャンセルにかかる)お金は私が払うから。

ボク:お金は口座引き落としだから無理。(本当はキャンセルしてもお金かからないけど)

母:頭が痛いのに行けるわけがない。そもそも行くなんて話は聞いていない。

(こう言って、着替えも、化粧もしようとしない。)

ボク:一昨日はあんなに「行ってみる!」って言ってたのに!

「行って!」「行かない!」のやり取りをしている間に、8時20分頃迎えのバスが来た。

母:(寝間着姿のまま)頭が痛いから行ける状態じゃないんです。お休みします。

S施設のOさん:ベッドもあるから寝られよ。看護師さんもいるよ。整体師もいるから、マッサージもしてもらえるよ。ビンゴ大会もあるよ。

母:いやー、ビンゴ大会なんていいです。静かに家にいたい。今回はやめておきます。

Oさん:そうですか。

ボク:いや、ボクがお昼までに連れて行きます!

Oさんは、マイクロバスに乗って他の家も回る必要があり、ここで手間取っているわけにはいかない。ボクがこう言うと、「待っているよ。」と、母に話しかけて行ってしまった。

2.激しいやり取り その2

その後、思い出せないぐらい激しいやり取りがあった。

母:(この家を出て、親戚の)○○さんのところへ行く!

ボク:行けば!

母:首をつる!

ボク(さすがに「つれば!」とは言えず、黙る。)

頑として行こうとしない母。

ボクも何度も、2階と1階を行き来していた。

2階に避難(?)している妻に

ボク:ダメだ、どうしても行かない!「頭が痛いから」とか何とか言って。昨日は(県都まで片道1時間の)歯医者に行っていたのに。要は行きたくないからなんだ!

妻:無理だって。絶対行かないよ!

ボク:お母さんのために言っているのに……!

また、1階に行き、母を説得にかかる。

母:頭が痛いのに、そんなに言うんだったら、家を出て行く。

ボク:大丈夫! ボクが出ていく!(と言って一旦外へ出る)

(戻ると)

母:家から出ていくとかそういう問題じゃない。

(施設ではなくて親友の)Tさんの家に朝、車で送ってくれの。

できるだけ(施設ではなくて)家においてくれの。

ボク:ボクもお母さんにずっと家にいてほしいの。そのために行くんだよ。

M医者は、「週2回、3回デイサービスに通っている人が一番安定している。認知症が進まない、あるいはよくなっている」と言っていたでしょ。「行くと楽しいよ!」と言っていたでしょう。

母:たかちゃんのお母さんは行っていない。周りの人みんなが行ったら行く!

ボク:親友のMさんの、親戚にYさんも、本家のおばあちゃんも行ってよかったと言ってるじゃない!

それでも、頑として行こうとしない母。

2階に行くと、

妻:だから、あーちゃんは絶対に行かないって。

ボク:いや、行ってもらう。今日しかないんだ!

この後、約1時間半、2階の書斎にこもって、祈っていた。

ボク:神様、母のためにはデイサービスに行った方がいいのです!

どうか思いが伝わり、母が行くことになりますように!

11時になり、そろそろ説得完了して出発しないと、お昼に間に合わない。

決意して1階に行き、また説得にかかった。

胃が痛かった。(ここのところ、ずっとそうだが)

3.激しいやり取り その3

ボク:お母さん、絶対に行ってね!

母:あれ、向こうから(介護に)来てくれるんじゃなかったの。

とんちんかんなことを大真面目に言う母。

妻によれば、なぜボクがこんなに怒っているかよくわかっていないという。

ボク:だから、デイサービスにこちらから行くんだよ。ボクが運転して連れて行くから。

行かなかったら、ボクは家を出るよ!

母:頭が痛いからダメ!

ボク:そのぐらい大丈夫だて!

母:着替えてないし。

ボク:着替えていなくてもいい!

なんだかんだで、ボクの迫力に押されてか、心からの祈りが効いたのか、母は自分で施設の人に断ると言って、寝間着のままボクが運転する車に乗った。

ボク:大丈夫。外でずっと戻ってくるまで待っているから。

私と母は車に乗って、自宅から10km弱のS施設へ向かった。

途中の車中でも、

母:お父さんは先に死んでよかった。こんなひどい目に遭わずにすんだ。

私は黙って聞き流し、施設に着く直前にこう言った。

ボク:お弁当だけは食べてきてね。

母:お腹がすいていない。

ボク:好きな物を食べられるだけでいいから。

4.相談員のOさんと話す

施設に着くとすぐにS施設の相談員Oさんが出てきた。

「頭が痛いから。」という母を上手に玄関に招き入れた。

Oさん「待ってましたよ、Oです。タカコさん(私の妻)のお茶の先生をやっていたタカハシさんも待ってますよ。」

なんと、この施設には母を知っていた人がすでに通っていたのであった。

わざわざ玄関に来てもらっていた。

促されるまま、ついつい玄関に入り、中に誘われた母。

ボク「大丈夫、外で待ってるから。」

■O相談員の話 その1

約束通り、外で待っていると、O相談員が来て話をした。

ボクがやっと母を連れてきたこと。とても大変だったこと。一昨日は、あんなに前向きに、こちらが拍子抜けするぐらい「行く」と言っていたのに……と話すと、

O相談員「認知症は気分がアップダウンしますから。認知症はガンよりも怖いと思ってます。」

こう言って、この11月同じように全然行きたがらなくて1ヶ月ほどで喜んで行くようになったある女性のケースをしてくれた。

その女性は、

・私が施設に行くようになったら、だれが夫の面倒をみるのか!

・私を邪魔者扱いして施設に捨てるんじゃないか!

と言って抵抗していた。それでも、O相談員が個別に迎えに行き、おしゃべりをして、仲よくなったら、施設でも話し相手が見つかったら、1ヶ月ほどで喜んで来るようになった。

■O相談員の話 その2

だから、同じように私が迎えに行くようにして、仲のよい関係をつくりましょう。行くのが安定してから、通う曜日を決めましょう。

まずは、O相談員がいる日に行くようにしたらという提案であった。

私はなるほどと承諾し、「よろしくお願いします。」と話して、サインしていた契約書を渡した。

ボクは母が昼食を食べるまでと思っていたら、

Oさん:最低3時間は施設にいていただかないダメなんです!(点数にならないから施設の収入にならない)3時過ぎに、私が自宅まで車で送るので、帰っても大丈夫ですよ。

こう言われた。

私は(母は覚えていないにしても)母との約束を考えて迷ったが、プロが大丈夫というのだから帰ることにした。

5.外から母の様子を観察

その後、20分間、私は外から母の様子を観察していた。とは言っても、カーテンがあるので中は見えない。換気扇から聞こえてくる話し声を耳をダンボにして聞いていた。

▶タカハシさん:……S苑最高!

O相談員:ありがとうございます。

▶タカハシさん:私はここに入ったら元気になったんだよ! ハハハッ。

神様が息子さんに乗り移ってここへ連れてきてくれたんだよ! ハハハッ。

実母:認知症になってここに連れてこられたみたいなんですよ。

▶タカハシさん:ここに入れば、それも治る! ハハハッ。

「認知症がここに入れば治る!」とは!

医者では決して語れない言葉が飛び交っていた。

実母:頭が痛いんです。

▶タカハシさん:ベッドも向こうにあるよ! いつでもベッドの上で休めるよ!

ボク:(なんだか、とても明るい人がいて大丈夫そうだな。)

12時を回ったところでボクは自宅に向かった。

自宅まで約15分。距離をはかったら9kmだった。

6.その後

妻:あれ、あーちゃんを連れて行けたの!!! 絶対無理だと思ってたのに!!!

ボク:なんとか連れて行けたよ。

妻:急に静かになったから、どうしたんだろうと思ってた。

ずっと2階にいた妻にこれまでの顛末を話した。

そして、タカちゃんのお茶のタカハシ先生が通っていたことも。

妻:タカハシ先生は、とってもよくしゃべる人なのよ。

■3時頃、O相談員から電話

・お昼ご飯は2割ほど食べた。

・その後、「疲れた」と言って、ベッドで横になり、たこ焼き作りは参加しなかった。

・2時半頃、起きてきてできたたこ焼きは食べた。

・タカハシさんと楽しくおしゃべりをしている。

・みんなといっしょに4時過ぎに施設を出て、自宅に向かう。

私としては、楽しく過ごせているらしいことがわかってうれしかった。

■母の感想:みんな親切だった、元気な人ばかりだった

5時頃、マイクロバスに乗せられて母が帰宅した。

マイクロバスには、運転手とO相談員が乗っていた。

O相談員によれば、楽しくおしゃべりしていたという。

母:元気な人ばっかりだった。

みんな親切だった。

帰宅するなり、母はこう言った。

私はO相談員の対応に感謝すると同時に、S施設を選んでよかった!と思った。

母は「頭が痛い」と言い、ベッドで寝ていたからか、S施設が医療施設だと勘違いしている面があった。

母は疲れたようで、夕食までベッドで休んだ。

■O相談員から再度の電話

・その後、またO相談員から電話があった。

今年最後の予定で、次回は来年3日の予定だったが、O相談員がいる日でかつタカハシさんの来る30日(木)も来てはどうかと勧められた。

私は快諾した。

 

非常に長くなったが、以上が「初めてデイサービスを利用するまでの道のり」の完結編である。

思えば、12月7日に▶緊急入院してから、まだ20日しか経っていない。

それが▶要介護申請、▶要介護1の仮認定、▶デイサービスの施設の選定、▶初めてのデイサービスの利用までものすごいスピードであった。

実母が緊急入院するまでは要介護申請など発想にもなかったのに、20日後にはデイサービスの利用である。

4年前、夜中の11時に車を運転して電柱にぶつかりという自損事故を起こし、緊急入院した母。車は全壊で修理不能。硬膜下出血で約10日間の入院を経て、ほぼ後遺症なしで退院した母。その時は、運転免許証の返納という結末となった。あの事故がなければ、運転免許証の返納はきわめて難しかったと思う。

そして、今回の緊急入院で認知症の認定に始まった要介護申請からデイサービスの利用までの流れは、今回の緊急入院がなければ、決してなかった流れである。

これも神意だと、ボクは思っている。

追記

12月30日、2回目のデイサービスの利用日であった。今度はすんなりいくと思いきや、また「頭が痛いから行けない!」ときた。私が取り合わないでいると、「愛情をもっておまえを育ててきたのに鬼だ」とまで言われた。いたたまれなかった。だけど、最終的にはデイサービスに行けた。前回よりも1時間も早く。着替えも化粧も終えた状態で、本人が自分から施設の車に乗って行った。本当によかった!
そして、つい先ほど帰宅した。
ボク「どうだった? 楽しかった?」
母「楽しかったよ! みんな親切だよ!」
うれしそうに、母は答えた。本当によかった!

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