★7日に倒れて救急車で脳外科へ搬送・入院。脳梗塞・認知症と診断。その後、要介護申請・デイサービスの利用まで、怒濤の3週間の記録【その10】
27日(日)にやっとのことで、母は初めてデイサービスを利用した。
その翌28日(月)4時から、ケアマネNさん(女性)がわが家を訪問し、居宅サービス計画書・居宅介護支援契約書について説明してくれた。妻と私の二人で話を聞いた。
1.居宅サービス計画書による説明
はじめに10分ほど、昨日初めてS施設に連れて行くのにいかに大変だったかを話した。
ケアマネNさんは、共感しながら話を聞いてくれた。
私が「こうした施設は<母が息子のボクをだれかわからなくなったら行くところだ>と思っていた」と言ったら、笑って聞いていた。
そして、母が施設に慣れるまでの間、木・日にこだわらず、O相談員がいる日や仲のよくなりそうなタカハシさんがいる日を選んで施設に行くことになっていることを伝えた。
その後、前回12月23日の訪問をもとに、作成してきた「居宅サービス計画書」に基づいて母のサービス計画について説明してくれた。
■居宅サービス計画書(1)
○要介護状態区分:要介護1
○利用者及び家族の生活に対する意向:
・本人:体調がよくない。家にいるのが一番よい。大勢の中で過ごすのは好きではない。編み物や書道が得意で、教えていた。
・次男:物忘れの進行予防にデイサービスの利用がよいと主治医が言っていた。なので、施設で人との交流を楽しみ、気分転換をしてきてほしい。
○総合的な援助の方針:施設で会話や交流を楽しむことができ、利用するのが楽しみになるようにお手伝いさせていただきます。
■居宅サービス計画書(2)
○生活全般の解決すべき課題(ニーズ):日中1人で過ごしているため、施設で、人との会話等交流を楽しみ、気分転換をしたい。物忘れの進行を予防したい。
○長期目標(半年間):施設に行くのが楽しみになる。
○短期目標(3ヶ月間):休まず施設の利用ができ、会話や交流を楽しめる。
○サービスの内容:
・他者との会話や交流の場の提供。
※ 楽しく過ごせるように、適宜、声がけ等を行う。(編み物や書道が得意である。)
・首から肩の不調(痛み)を軽減できるよう機能訓練を実施する。
○サービス種別:通所介護(デイサービスセンターS苑)、
○週2回(木・日曜日)
小学校教員である私は、「まるで特別支援個別指導計画のようだな。」と思って聞いていたら、ケアマネNさんは「小学校の先生にあれなんですけど、これでいいでしょうか。」と聞いてきた。私は、「長男」とあったのを「次男」と訂正をお願いしたくらいで、特に修正はなかった。S施設へとにかく楽しんで行ってくれるようになればと思っていた。
その後、「居宅介護支援契約書」についても説明があった。契約相手の代表者名は、市長だった。一通り説明を受けた後、この二つとも署名・捺印した。
2.いくつかのQ&A等
私:私が退職すると、要介護認定のランクは変わって、サービスを受けにくくなったりしますか。
Nケアマネ:そんなことはありません。あくまで本人の実態です。
私:今の要介護認定1でどこまでのサービスを受けることができますか。
たとえば、デイサービスだと、週2回ぐらいまでですか。
Nケアマネ:えーと、要介護1の支給限度額は「166,920円」ですから、(いろいろと計算する)週4〜5回程度、利用できますね。
この後、そもそも要介護と要支援との違い、要介護1で受けられるサービス内容、住宅改修費支給等々を聞いたところ、「すこやか介護保険」という利用の手引きパンフをもとに、答えてくれた。
■パンフから
▶サービス利用までの流れ
▶介護サービス(要介護1〜5の人)
実にわかりやすいパンフであった。
3.今回の顛末の神意は!?
私は、こうした施設は「母が息子のボクをだれかわからなくなったら行くところだ」と思っていた。妻は、「外に出て一人で戻って来られるうちはいい」と思っていたそうだ。
実際は、要介護1どころか要支援1からサポートしてもらえるところだった。
話を聞いた後、妻と二人で「心強いな。」と言い合った。
- 「要介護認定を受けて、デイサービスを利用して、より快適な生活環境を与えてあげなさい。」
これが神意だったのではないかと思う。いみじくも同じ施設の先輩のタカハシさんが
「神様が息子さんに乗り移ってここへ連れてきてくれたんだよ!」
と言うように。そして、
実母:認知症になってここに連れてこられたみたいなんですよ。
タカハシさん:ここに入れば、それも治る!ハハハッ。
と言ってくれたように。
追記
■2回目は「楽しかった!」と答えた母
12月30日朝9時45分にお迎えがきた。相変わらず抵抗してたが、2回目の今回は、自分で着替えてお化粧もしていた。
帰宅後、「どうだった?」と問いかけると、「楽しかったよ!みんな親切だよ!」と、母は答えた。
午後5時、母は家まで送ってくれたデイサービスの車の人に感謝の言葉をかけていた。
・実際、母は限界だったのではないかと思う。母がデイサービスを利用している間、母の状差しを整理してみた。マスクがあちこちから20枚ほど出てきたし、イヤホンは三つ、歯間ブラシはおびただしい数出てきた。要るはずのない葉書などもたくさんでてきた。あのきちんとしていた母がである。おそらくは認知機能が低下し、捨てる・捨てないの判断ができなくなっていたのだ。