《読み始める前に》
親に感謝しているつもりでも、実は本当の意味では気づいていなかった。
そんなことがあるのかもしれません。
私はかつて、父に対してさほど感謝の念を持っていませんでした。それどころか、何かと母の味方ばかりして、一緒になって父を責めたり、軽蔑したりすることすらありました。
けれど、その父がいなければ、今の私はありませんでした。
そのことに気づいたのは、ある特別な時間の中で、忘れていた一場面を思い出したときでした。
雪の日の夜。父の黒いカバン。そして、「帰ったれ〜」という声。
その記憶がよみがえった瞬間、私は涙が止まらなくなりました。
パパの子育て奮戦記 第66号|「あったかい家族日記」第108号 再構成版
長女アキコ(7歳)、次女クニコ(3歳)、ママ、パパ(私)、祖母(70歳)
内観という、自分の心を観る時間
今から15年ほど前、まだ独身だった頃のことです。
私は東京で、内観に取り組んでいました。
内観というのは、「自分の内側――心――を観る」という意味です。
赤ちゃんの頃から、乳児、園児、小学生、中学生、高校生、大学生、そして就職……と、人が生まれてから現在までの人生を順に観ていきます。
そのときに観ていくのは、母親、父親、配偶者、兄弟、恩師、友人、職場の上司や同僚など、周囲の人との関わりです。
はじめに、お母さんとの関わりを観ていきます。
観点は決まっています。
「お世話になったこと」
「お返ししたこと」
「迷惑をかけたこと」
この三つです。
内観は通常、内観道場で、朝の6時頃から夜の9時頃まで、1週間かけてじっくりと行います。私語は一切ありません。黙々と、自分と向き合うのです。
1時間から2時間おきに、面接官が来て、こう尋ねます。
「この時間、誰について、どんなことを調べてくださいましたか」
そこで、たとえば私は、こんなふうに報告します。
「この時間は、お母さんについて、小学校4年生から6年生の頃について調べました。
お世話になったことは、セーターを編んでもらったことです。
お返ししたことは、よく豆腐を買いに行ったり、お使いをしたことです。
迷惑をかけたことは、高いお金を出して買ってもらった英会話教材をほとんど使わず、無駄にしてしまったことです」
今回は父親がテーマなので、母親については詳しく書きません。
けれど、初めて母親について内観したときのことは、今でも覚えています。
お世話になったとは思っていました。でも、これほどまでにお世話になっていたとは思っていませんでした。
心から、
「ありがとうございました」
と思えたのです。
父について調べ始めたときの、正直な気持ち
さて、いよいよ本題です。
母親の後に、父親について内観していきました。
父に対しても、
「お世話になったこと」
「お返ししたこと」
「迷惑をかけたこと」
この三つの観点で、小さい頃から現在までを順に観ていきます。
ただ、父について内観する前の私は、正直こう思っていました。
「確かにお世話にはなったけど、そんなじゃないな」
さらに言えば、
「むしろ僕がいたおかげで、お父さんは幸せだったんじゃないかな」
そんな気持ちすらありました。
小学校時代を思い出しながら、まず父にお世話になったことを調べてみました。
「欲しかった卓球のラケットを買ってもらった。うれしかった」
「川や山、海へよく連れて行ってくれた」
探してみると、結構出てきました。
けれど、私はまだ素直ではありませんでした。
「いろいろ連れて行ってもらったけれど、それは父のためでもあったのではないか」「僕と一緒にいた父も、楽しかったんじゃないか」
そんなふうに考えていたのです。
そこで、S面接官にそのまま伝えました。
「僕と一緒にいた父も楽しかったんじゃないかと思うんです」
すると、S面接官は、ぴしゃりと言いました。
「それは内観ではなく、外観です! 相手がどう思っていたかどうかは関係ありません。あなたがどう思ったかを観ていくのです!」
その言葉に、私ははっとしました。
父が楽しかったかどうかではない。父がどう思っていたかを想像することでもない。
自分が、父にしてもらったことをどう受け取っていたのか。
自分が、何をしてもらっていたのか。
そこを観ていくのが内観だったのです。
雪の日の夜、父が帰ってきた
それから、もう一度、父について内観してみました。
川へ魚捕りに連れて行ってもらったこと。そのとき、自分はやっぱりうれしかったこと。
そんなことが、少しずつ見えてきました。
そして、忘れていたあるシーンが、鮮やかに思い出されたのです。
それは、12月の末。寒い、雪の降る夜のことでした。
銀行員だった父が、夜9時頃に帰宅しました。
「帰ったれ〜」
そう言いながら、家に入ってきた父の声。
小学生だった私は、
「お父さんだ!」
と思い、すぐに玄関へ行きました。
そして、
「お帰りなさい」
と言いながら、父の黒いカバンを持ちました。
そのカバンは、融けた雪でずっしりと重くなっていました。私はそれを引きずるようにして、居間まで運んでいました。
そのシーンが思い出された瞬間でした。
「そうなんだ!」
胸の奥で、何かが大きく動きました。
父が毎日毎日、雪の日も、もしかしたら体調がよくない日も、遅くまで働いてくれていた。そのおかげで、僕は大学まで行け、就職もできたんだ!
父が毎日毎日、40年近くも働いてくれたおかげだったんだ!
ようやく、そのことに深く気づいたのです。
そのとたん、涙があふれ出てきました。
軽蔑していた自分に気づいた涙
私は、父に対して、さして感謝の念を持っていませんでした。
それどころか、何かと母の味方ばかりして、一緒になって父を責めたり、軽蔑したりすることすらありました。
けれど、その父がいなければ、現在の私はありませんでした。
大恩ある父に対して、感謝の念を抱かず、むしろ軽蔑すらしていた自分。
そのことに気づいたとき、涙が止まらないくらいあふれ出てきました。
父は、正直な人でした。優しい面を持っていた人でした。そして、私という息子を誇りに思ってくれていた人でもありました。
本当は、たくさんあったのです。ただ、私がそれに気づいていなかっただけでした。
父は会社では出世せず、窓際だったかもしれません。年下の上司にいろいろ指示され、つらいこともあったかもしれません。
それでも、40年近く働き続けた。
その重みは、とても大きいものだったのだと思います。
私の奥底で、何かが大きく変わりました。
内観後、父への態度が変わった
それから、父への態度が180度変わりました。
母の味方ばかりしていた私が、父の味方もするようになりました。感謝の念が出てきたことで、父への言葉遣いも自然と優しく、あたたかくなりました。
退職して、朝のゴミ出しなどをしていた父に、
「ありがとう」
と伝えるようになりました。
それまでは、正直なところ、
「僕が稼いでいるんだから当たり前」
「適度な運動になって、健康にいいだろう」
そんなふうに思っていたのです。
けれど、内観の後は違いました。
寿司を食べに連れて行ったり、おこづかいを渡したりと、少しでもお返ししたいと思うようになりました。
自然に体が動いたのです。
父が亡くなった後に残ったもの
実は、その父は8年前に急死しました。
結納が終わり、結婚を1か月後に控えた時期でした。
けれど、内観をしていたおかげで、私は父に感謝していました。それまで優しく接することもできていました。
だから、後悔の念はありませんでした。
もし内観していなければ、私は相変わらず母の味方ばかりして、父をさほど大切にしていなかったと思います。
そして、父が亡くなった後、後悔の念にさいなまれていたかもしれません。あるいは、後悔の念すら出なかったかもしれません。
「お世話になったこと」
「お返ししたこと」
「迷惑をかけたこと」
この三つの観点で、母について、父について、そして人生で関わってきた人についてじっくりと観ていく内観。
シンプルではありますが、とても奥の深いメソッドです。
その内観に出会えたこと。それによって、父母に感謝でき、調和できたこと。
そして何より、あのとき私に、
「それは内観ではなく、外観です」
と教えてくださったS面接官の一言に、深く感謝しています。
(2005年10月22日記)
今、振り返ってみて
父親の愛情は、見えにくいことがある
父親への感謝は、普通に暮らしているだけでは、なかなか気づきにくいものかもしれません。
ある意味では、太陽のようなものです。あって当たり前。そこにあるのが当然のように感じてしまう。
「提灯を借りた恩は知れども、天道の恩は忘る」
そんな格言があります。
手元を照らしてくれた提灯のありがたさには気づくけれど、毎日当たり前のように照らしてくれている太陽の恩は忘れてしまう、という意味です。
父親への感謝も、それに近いところがあるのかもしれません。
炊事、洗濯、掃除をはじめ、日々の生活の中でいろいろと世話をしてくれる母親。病気になれば看病してくれて、気落ちしていれば声をかけてくれる母親。
母親からの愛情は、子どもにとってわかりやすい愛情です。
一方で父親は、仕事から帰ってくると疲れが出て、すぐにリラックスモードになりがちです。しかも、昭和世代の父ですから、子どもの世話は母親の仕事だと思っていたところもあったと思います。
母親は母親で、つい父親への愚痴を言ってしまうこともあります。
子どもは、知らず知らずのうちに、そんな母親の愚痴に同調してしまいがちです。
責任転嫁をするわけではありません。けれど、母親の夫への思いは、子どもにも伝わってしまいやすいものです。
私がそうでした。
私は、母の味方ばかりしていました。そして、父のことをどこか軽く見ていたところがありました。
でも、内観を通して、私は父の大恩に気づきました。涙が止まらなくなり、父への構えが根本から変わりました。
家族のために働き続けるということ
多くの父親は、子どものため、家族のために、一生懸命働いています。
少し熱があっても。仕事上のトラブルがあっても。人間関係で気が重い朝でも。
それでも仕事に向かいます。
誰のために。
もちろん、家族のためです。
今は共働きが主流になり、父親だけが家計を支える時代ではなくなってきました。それでも、母親と共に、子どものため、家族のために一生懸命働いていることは変わりません。
だからこそ、父親もまた、母親と同じように感謝される存在なのだと思います。
少なくとも、軽んじられたり、軽蔑されたりしてよい存在ではないはずです。
以前の記事にも書きましたが、家族のために一生懸命働いている親に感謝できなかったら、いったい誰に感謝できるのでしょうか。
道徳ではなく、自分の中から湧いてくる感謝
ただし、「道徳的に感謝すべきだから」と言われても、人は本当の意味では動かないのだと思います。
心から、「本当にお世話になっていたんだ」と気づいたとき、人は自然に変わっていくのだと思います。
そのために、「内観」という方法は、とても優れた方法だと感じています。
ちなみに、内観道場は全国にあります。私は1週間の内観のほかに、原久子さんが主催された「内観セミナー」にも、2泊3日で3回以上参加しました。
今回の記事に出てきたS面接官とのやりとりは、その「内観セミナー」での出来事でした。
本当は、妻である母親が、夫である父親に感謝する姿を見せること。
そして、夫である父親が、妻である母親に感謝する姿を見せること。
それが、子どもにとって一番よいお手本になるでしょう。
このことについては、また別の原稿で詳しく書きたいと思います。
ただ、たとえそうしたお手本が十分でなかったとしても、「内観」という方法を通して、自分の中から感謝に気づいていくことはできるのだと思います。
「父にお世話になったこと」
「父にお返ししたこと」
「父に迷惑をかけたこと」
その一つひとつを静かに見つめていく中で、見えていなかった父の姿が、少しずつ見えてくるのかもしれません。
(2026年6月7日記)
共感していただけたところがあれば、「スキ」でそっと教えていただけると励みになります。
📝 自分に問いかけてみる時間
あなたは今、父親に対して、どんな感情を抱いているでしょうか。
すぐに感謝が出てこなくても、大丈夫です。
たとえば、
・よく叱られた
・家でゴロゴロしていた印象が強い
・あまり話さなかった
・母親に手をあげた父が許せなかった
そんな思いが出てくることもあるかもしれません。
もちろん、暴力や深く傷つけられた出来事を、無理に肯定する必要はありません。
ただ、その背景には、別の一面があったのかもしれません。
よく叱ったのは、子どもを正しく導きたいという思いがあったからかもしれません。家でゴロゴロしていたのは、外で気を張り、心身ともに疲れていたからかもしれません。口数が少なかったのは、不器用で、思いを言葉にするのが得意ではなかったからかもしれません。
至らないところがあるのが人間です。父親だって、成長途上の、一人の人間なのです。
ただ、今まで見えていなかった父の一面を、少しだけ別の角度から見つめてみる。それだけでも、心の中に何か変化が生まれるかもしれません。
📝 簡単なワーク
父親に対して、ネガティブなことばかり思い浮かぶときは、子どもの頃から順に、静かに振り返ってみてください。
そのときに使う視点は、次の三つです。
・お世話になったこと
・お返ししたこと
・迷惑をかけたこと
たとえば、小学校時代の父について考えてみます。
父にしてもらったことは何だったでしょうか。そのとき、自分はどんな気持ちだったでしょうか。
自分は父に、何かお返しをしたでしょうか。
父に迷惑をかけたことはなかったでしょうか。
すぐに思い出せなくても構いません。
心を落ち着けて、静かに振り返っていくと、これまで見えていなかったことに気づくかもしれません。
そして、
「お世話になったことの多さ」
「お返ししてきたことの少なさ」
「迷惑をかけてきたことの多さ」に、
ふと気づくことがあるかもしれません。
その気づきは、誰かに言われて無理に持つ感謝ではありません。
自分の中から自然に湧いてくる感謝です。その感謝こそが、親子の関係をあたたかいものに変えてくれるのだと思います。
《あわせて読みたい記事》
あわせて読みたい記事として、
👉 「いつも、おしごとありがとう!」──娘たちがくれた父の日の手紙
👉 “ありがとう”を言える子に育てたい──「親ガチャはずれ」と言う子に育てない
があります。
最後まで読んでくださり、ありがとうございます。
父への感謝は、当たり前の暮らしの中では、なかなか気づきにくいものかもしれません。
けれど、静かに振り返ってみると、見えていなかった父の姿が、少しずつ浮かび上がってくることがあります。
『パパの子育て奮戦記』では、プレパパや、小学生までの子どもを持つパパに向けて、子育ての中で大切にしたいことを綴っています。
この後も、子どもとの関わり方、あいさつ、しつけ、家族の時間について、体験に基づいて綴っていきます。
また読んでみたいと思ってくださった方は、フォローをお願いします。
この記事は、2005年10月22日のSo-netブログ原稿「父の恩に気づき涙した私」をもとに整えた再構成エディションです。


