【2024年10月現在89歳で認知症(要介護1認定)の実母と暮らしている僕が、母の人生のフィナーレのこの時期を共に笑顔で終えるように決意して過ごしている。その日々の記録】
🔶2024/11/24日
朝10時半、三人でティータイム。長女が帰省時に持ってきたお菓子を食べた。
その後、1週間分の母の洗濯物を集めて、洗濯するように声がけした。
まずは、洗濯物(下着や寝巻き等)を集めることから。これが少々難しい。
いつも決まった場所に置いておけばいいのだが、そのシステムがないから。
まずは、1週間分の洗濯の声がけからのスタートだ。
10分ほどして、ようやく洗濯物を集めたあとは、私がやり方の説明をして、その通りに母がやる。
①洗濯物を入れて、電源スイッチを押す。
②スタートボタンを押す
③洗剤を計って入れる
④柔軟剤を入れる
終了した頃、また声がけすると、母は自分で洗濯物をかごに入れて、干し始めた。
つまり、少しサポートすれば、自分で洗濯もできる。
ショートステイで、洗濯が一人ではできなくなっていることに気づいて本当によかった!
(下着を用意できなかった)
夕食は、大抵僕と妻と実母の三人で食べている。大抵妻が作った料理を食べている。
夕食の時間だからと呼びに行ったら、TVリモコンがどこかにいったらしく、TVを消せないと困っていた。
どのテレビのリモコンかがよくわからなくなっているようだ。
エアコンのリモコンとの違いも怪しくなっている。
そこは、サポートすればいいわけで、同居している分には、どうということはない。
🔶2024/11/23土
今日は、僕の結婚記念日。妻と「弥彦の菊祭り&カーブドッチ(温泉を含む)」で1日お出かけ。
前日の夕食時「明日、結婚記念日で妻と弥彦&温泉にお出かけするよ。」と、実母に話し、許可をもらっていた。
今朝の出発前、もう一度話すと同時に、ホワイトボードに書いた。
(絶対忘れるので。)
こちらは、いつもの朝食ーパン(万田酵素入り)と薬と果物(今回は柿)ー
合わせて、セブンイレブンに出かけて、実母のお昼ご飯用におにぎり2個と煎餅も買ってきた。
冷蔵庫には、野菜サラダもある。
こうして、8時半ごろ、自宅を後にした。
予定通りのコースを回り、3時ごろ自宅に帰ってきた。
途中、実母から電話があり、キッチンの自分の部屋の電気がつかないと言っていたが、
大丈夫であった。
実母へお土産の柿も買ってきた。
🔶2024/11/21木(母89歳)
今日は、母の同級生で仲良しのHさんを、電話で誘ってみた。
「天気もいいし、紅葉もキレイだから母のところへ遊びに来ませんか。
私が送り迎えしますよ。」
幸い都合が良いらしく、快諾だった。
そこで、母に電話をタッチしたところ大喜びだった。
3年ほど前までは、自分たち同士で電話のやり取りをして行き来をしていた。
Hさんも電車で来ることができていた。
ところが、ここ2、3年で、認知症の母が約束を忘れたりすることがあったので、
必ず僕が電話のやり取りに入り、メモを取るようにした。
実は先日、Hさんと会う約束したのだが、
その翌日Hさんの方が、「いつだったかしら。」のような電話をくれた。
僕は、Hさんも同じく89歳なのでやばいかなと思い、当日の約束の方がいいと思ったのだ。
さて、車で30分ほどかかるのだが、
母を乗せてHさん宅向けて出発。これが10時過ぎ。
30分後に、Hさん宅に着き、すぐに僕の車に乗った。
母とHさんの車中の会話で、二人が一致していたことは
「歳を取ったら、健康が一番!お金があっても、健康じゃないとどこへもいけない」
であった。
🔹K公園で紅葉を見る
僕の自宅に向かう途中、紅葉で真っ盛りのK公園に寄った。
母の肩につかまりながら歩くHさん
「まあ、キレイ!」
二人とも、紅葉の美しさに大満足していた。
そして、「ありがとう。」と、僕に何度も言ってくれた。
池の端で、こんにゃくを食べながら、紅葉をしばし味わった。
🔹僕(というか母)の自宅に到着
自宅に着いてからは、
途中セブンイレブンで買ってきたお弁当などを二人で食べていた。
僕は、お茶だけ出してあげた。
ここでも「ありがとう。」と、言ってくれた。
心配なので、帰りも自宅まで車で送る。
近くの友達のところへよく連れて行ったものだが、
近年車で5分、10分、15分の友達が次々と亡くなり、
車で30分となった。
それでも、私がサポートしないと連絡すらおぼつかない。
私がサポートするしかあるまい。
そうすれば、会って楽しいひと時を過ごせるのだから。
🔶2024/11/20水(母89歳)
いつものように、朝食のパン(万田酵素入り)・薬・果物の「柿」(妻が用意)した。
今日は、ディサービスの日(月・水・金の週3日)だからと、7時過ぎに起こしに行った。
10度を下回る気温なのですが、ストーブの灯油がほとんどなくなっていた。
そこで、僕が入れてあげようとすると
母「何もやっていないから、私が入れるて。」
と言った。構わず僕が入れた。
というのは、入れる時に失敗してこぼしてしまうことがあるからだ。
僕が入れて、持っていくと、
母「ありがとう。」
と言っていた。