Just5月号Big Talk「向山洋一氏」インタビューの中で、向山洋一氏は、子ほめ条例というのを紹介された。日本全国の7つか8つの市町村で、「小学校6年間、中学校3年間のうちに、1回は必ず本当のことで賞状を渡さなくてはいけない」と条例で定めたという。わが家では、1年間に1回は「成就感のもてる達成経験・成功経験を持たせ、それを形が残る賞状という形で渡す」ことを決めた。
わが家の「子ほめ条例」2007.5.16
ーJust5月号Big Talk「向山洋一氏」インタビューよりー
私はJust「船井幸雄のホンモノトーク」・「著名人ビックトーク」「船井幸雄のわくわく幸運塾(ちょっと前は「本物実践塾」という名前だった)」の愛読者である。毎回貴重な情報を入手している。
さて、今月の「著名人ビックトーク」は、元小学校教師で、教育技術法則化運動代表、日本一のインターネット教育情報ポータルサイトTOSSランド代表、月刊『教室ツーウエイ』他多数雑誌の編集長、日本で一番教育書を書いている人……である。音楽界でたとえると、モーツアルトかべートンベンのレベルであると、私は判断している。(決して大げさではない。)
私自身、教育界で最も影響を受け(この人の本は、編著を含めて200冊以上は読んでいると思う)、最も尊敬している人の一人である。
Big Talk「向山洋一氏」インタビューより
60分のビッグトークから、2分間だけテープ起こしをした。次の部分である。
向山「ずっと昔になります。もう3,40年前になります。あかぎ特別少年院というのがありまして、関東地区の少年院中の少年院、ワル中のワルが集まるところです。 その院長先生の話で、ここに来る子どもには特徴が三つあると。
一つはですね、「今までの人生で、これをやったという充足感のある経験が一度もない。」というんですね。人見ルミ「じゃーかわいそうですね。」
向山「かわいそう。」向山「二番目はね、『それよくやったね。』という人様からほめられた経験も一度ものないというんです。」
人見ルミ「う~ん。」
向山「三度目はね、両親あるいは教師等を含めて、大人に対する抜きがたい不信。」
人見ルミ「あ~。なるほど。」向山「どっかでショックを受けたりしたんでしょう。その三つが共通していると。」
人見ルミ「かわいそうですね。」
向山「かわいそうですね。」向山「そうするとね、前の二つは学校の教師にとって、きわめて重要なんですよ。」
「一度も充実感を与えられる教育をしなかった。一度もほめられなかった。」
「どんなに悪ガキでもですよ。どんなに悪くてひどかったであろうと、小学校6年間、中学校3年間、9年間預かっていて、それで一度としてそれをやらなかったというのはね、それは学校の落ち度ですよ。」人見ルミ「ホントですね。」
向山「でもね、日本の中にはね、そういったことを克服しようとした自治体がいくつかあるんですよ。7つか8つ。」
人見ルミ「え~。」向山「ちぃっちゃな村とか市なんですが、『子ほめ条例』というのをつくりまして。」
人見ルミ「へえ~。」向山「『子ほめ条例』どういう条例かっていうと、条例で決めてあるんです。小学校6年間、中学校3年間のうちに、1回は必ず本当のことで賞状を渡さなくちゃいけない。」
人見ルミ「へえ~。」向山「全員にです。」
人見ルミ「学校が?」
向山「学校が。それを教育委員会、市長さんとか村長さんが決めたわけです。おもしろいでしょ、いいでしょ。」
人見ルミ「うれしいですね。」向山「そうするとね、絶対どっかで(ほめるネタを)見つけなきゃいけないんです。そうすると緊張感が走りますよね。一度はしなくちゃいけない。」
人見ルミ「でも子どももそのことでほめられるわけですから、何でもいいわけですね。」
向山「そうです。」人見ルミ「そうじがよくできた。」
向山「そうそう、それでもいい。」人見ルミ「ごみ拾ってくれたとか。」
向山「そう。」 ……(以上、Just5月号Big Talk「向山洋一氏」インタビューより)
私は、生まれたからずっと子育てをしていて、親が「一度も充実感を与えられる教育をしなかった」、親から「一度もほめられなかった」というのは、決してあってはならないことだと、強く思った。
ここで言うほめるというのは、親がほめたつもりというレベルでなく、親が心から賞賛し、子どもが本当にほめられたと深く実感できるレベルである。
子どもが「これをやった!」と深く感じた充実感である。
この部分を聞いて、わが家も「子ほめ条例」をつくろうと考えた。
わが家の子ほめ条例
わが家の子ほめ条例1.「1年間に1回は、我が子を心から賞賛し、記念として賞状を与える。」
子ほめ条例2.「副賞として、子どもに親が贈りたいモノまたは子どもが欲しいモノを贈る。」
子ほめ条例3.「親である私(や妻)は、心から賞賛できる事実を共につくり出すように努力する。または、我が子の心から賞賛できる事実を見つけるように努力する。」
実は、このビッグトークのこの部分を聞いて、前々回の暗唱文集達人編7段達成の賞状をつくり、プレゼントを贈ることにしたのだった。
今、これを書いていて思うに、わが子がこうして存在し、生きていること自体が賞賛に値することだ。
こう考えると、誕生日に「あなたはこの1年(立派に)生きていてくれました。そのことがお父さん、お母さんにとって何よりもうれしいです。ありがとう。」と言って、賞状を渡すこともできる。プレゼントを贈って祝うこともできる。(そもそも誕生日を祝うというのは、そう言う意味であろう。)
要するに、その気さえあれば、絶対にできることなのである。
こうして、達成感・充足感のある経験を重ね、それを親に認められながら育ったならば、わが子は自信をもって人生を切り拓いていくに違いない。
わが家の「子ほめ条例」は、あの暗唱文集達人編7段達成の表彰からスタートした。
新しい伝統として、毎年毎年継続していくつもりである。