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生命や安全を脅かす事件が頻発している

生命や安全を脅かす事件が頻発している 2005.6.13 第21号

・生命や安全を脅かす事件が頻発している。JR西日本の列車脱線事故がそうだし、山口県立光高校の教室爆弾事件がそうだ。二人の娘をもつ父親としては、監禁事件の頻発も脅威である。

事件ではなく災害であるが、中越大震災やインドネシアの大津波も生命や安全を脅かした。JR西日本の脱線事故の場合は、連日のように亡くなった人のそれまでの人生やなくなった後の残された家族について報道されていた。ミュージカルで活躍することを夢見ていた人や、孫ができて世話に通っていたおばあちゃんなど、一瞬にして夢や幸せを絶たれた本人の無念。残された家族の悲しみを知るにつけ、どうしようもない無力感を感じたものだ。いくら健康や安全に気を配っていても、どうしようもないではないかと。せっかく将来のために、勉学に励んだり努力したりしても、こんな事件に巻き込まれてしまえば、一巻の終わり。そんなことを考えると、努力など無駄ではないかと。今回の爆弾事件などそのクラスの生徒に恨みがあったらしいが、その報復の手段の残忍性。関係ない子も大勢いただろうに、平気で事件に巻き込む残忍性……。妻とも話したが、本気で心配しだしたら、眠れないし、生きていけない。

・もちろん、対策として安全を守るための教育はする。しかし、身を守るための方策をできる限りとったとしても、まだなお万全ということはありえない。どうしたらいいのか?

・安全のためにできる限りのことをやり尽くした後は(やり尽くさなくても)、神仏に守ってもらうしかないと、私は思っている。私は、毎朝神棚に水をあげる時、「天照大神様、日本および日本国民、わが家、わが家族、そして私をいつもお守りくださいましてありがとうございます。」と心の中で唱えるし、毎朝仏壇に向かって、「ご先祖様、いつもお守りくださいましてありがとうございます。」と心の中で唱えている。寿命など、人間の計らいをある意味で超えていると思うからだ。そして、神仏にご加護を祈るだけではなく、神仏が加護したくなるような人間になること、そのような行いをするように心がけている。

・さて、書き始める前は、神仏に祈るということまでしか思いつかなかったけど、ここまで書いてきて、一つ思ったことがある。「いつ死ぬかわからない。これが世の常だとしたら、今を精一杯有意味に幸せに生ききるしかあるまい。」と。これは自暴自棄の刹那主義とはもちろん違う。いつ死んでも後悔がないように、今を精一杯生ききることだ。周りの人に感謝し、調和しながら、自分を生きていく。人智を超えた部分については、神仏のよき計らいを信じ(全託)、今を精一杯生きていこう。

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