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泉河潤一の高校時代 ープロフィール その2ー

泉河潤一の高校時代

ープロフィール その2ー

泉河潤一は「日本の家族の再生」に後半生を捧げようと決意しています。

なぜそのような大それた志をもつにいたったのか!?

次の4つの時代を読むとわかります。(前号より)

その「高校時代」について紹介します。

◆1.高校時代 ~ 悩み抜いた高1時代をくぐり抜けて教員志望へ ~

中学時代は、勉学にスポーツにバランスよく打ち込んでいました。当時キャプテンをしていた卓球部では、本当に打ち込むというか熱中していたのです。ボーイスカウトもやっていましたから、いわゆる勉強ばかりでない、「よく遊びよく学べ」の金言どおりに生活していたと思います。

そして、高1時代。地元では進学校といわれる高校へ進みました。

ところが、高校に入学してから、「勉学一本でいかなければいけない!」となぜか、そう思いこんでしまったのでした。

勉強一本で脇目もふらず、学校でも家でも休み中でも、勉強ばかりという生活にしてしまったのです。

半年後、クラスの中でほとんど孤立していました。勉強ばっかりのいやなやつと思われていたのかもしれません。

そのあたりから悩みが始まったのです。これまで考えたこともないことー「いったい何が確かなこと(真理)なんだ?」という問いーが生じてしまったのです。

それがわからない。考えても考えてもわからない。いくら考えてもわからないのです。いつの間にか勉学よりこのテーマを考えることで頭がいっぱいという感じでした。人間関係の不調・不信なども相まって、本当に悩み苦しみました。

どうしたか?  担任の先生に相談しました。

週に何回か相談に乗ってもらっていたように思います。何しろ約40年前のことなので、いちいちの対応は覚えていません。ただ、誠実に対応してくださったことは確かです。

孤立して、あるクラスメイトからいじめすら受けました。リーダーとして活躍していた中学時代の私には考えられないことでした。

そんな時、同じクラスにM君がいました。同じ市から電車で通っていました。ユーモアがあって飾るところがなく、クラスの中では人気者でした。それでいて、強さも優しさもありました。

そんな彼に惹かれていったのです。同じ電車で、いっしょに登下校するようになりました。

彼は、人を家来のように扱うことは微塵もありませんでした。同じ仲間として対等に接してくれたのです。

こうして、私は癒されていきました。

さて、M君と担任のF先生のおかげで、今ふり返ってもとてもつらかった、高1時代をなんとか乗り切ることができました。

そして、あれは高校2年生の夏休みだったと記憶しています。ふとあの根源的な問い「いったい何が確かなこと(真理)なんだ?」という問いを考えてみました。

見つかりました。それは、高1時代のM君のあたたかい支えや担任F先生の誠実な励ましの中に! 高1時代ノイローゼになるほど悩んだ問いの答えが見つかったのです。あの二人の励ましの中にあったもの。目に見えないものこそ大切だと。愛こそ大切なのだと!そして、F先生をとおして教師の素晴らしさを知った私は、教師を目指すことになったのです。

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