2005.7.26(火)初めて娘の通知表を見る 第55号
7月22日(金)初めて長女(小1、6歳)の通知表を見る
長女は小学1年生、初めて通知表をもらってきた。2241
通知表を見て顔を曇らせた母
思い出すのは、私が小学校1年生の時、初めて通知表をもらってきて、母親に見せた時のことだ。
当時は、生活科という教科はなく、国語・算数・理科・社会・音楽・図工・体育の7教科だった。教科ごとにA,B,Cという評定だった。
担任の先生から図工など3つにAという評定をもらった私は、嬉しくてしょうがなかった。
そして、すぐに家に走って帰り(学校は徒歩3分)、どんなにお母さんは喜び、ほめてくれるだろうかと思って、通知表を差し出した。
ところが、予想に反して母はうれしそうどころか、私の通知表を見て顔を曇らせたのだ。
今でもはっきり覚えている。母の曇った顔、それを見た私の落胆……。
怒られはしなかったが、二児の父親になっても、いやな思い出として残っている。
おそらく、国語や算数などの評価がよくなかったのだろう。それに、私はAの数しか注目していなかったが、母は所見やCの数など総合的に判断したのだろうと、今は思う。
娘の通知表を見てほめる!
さて、こんな経験があった私は、娘の通知表を見たら、良い点をたとえ一点でもよいから見つけ出し絶対にほめようと決めていた。
結果は、とてもよかった。教科の成績、行動や生活の記録、そして所見ともに。嬉しかった。
「すごいじゃないか。行動や生活の記録、ほとんど◎。お父さん嬉しい!」
「国語、算数、生活……。ほとんど大変よい。すごいね。お父さん嬉しい!」
「『~アキコさんには安心して任せられることが多く、たくさん助けてもらいました。』だって、すごいね。お父さん嬉しいな!」
すごくほめられたアキコは、とても嬉しそうにして照れ笑いしていた。
そんなアキコを見て、私はまた嬉しかった。
どんな成績でもほめようと決めていたが、本当によくてよかった。
落胆でなく喜びを与える通知表の受け取り方
実際私が小学校のころは、5段階相対評価(中学年以上)で厳しいものだった。それだけに5はすごい価値があった。
今は絶対評価(みんな100点なら、みんなに5。)だし3段階評価で粗いので、学校の、とりわけ教科の成績は、実のところあまり気にかけてはいない。
だからといって、子どもががんばってもらってきた成績を、「ふ~ん、あっそう。」という感じで受け取ってはいけない。これは、おそらく叱られると同じくらい酷な事であろうと思う。
あるいは、「(このぐらいのよい成績は)当たり前。」というのも、元気づけられないと思う。がんばりを認めてもらえたり、ねぎらったりしてもらえていないから。
「子どもの成績は少なくとも最大の関心をもって受け取り、できる限りの賛辞を贈るべきだ。」と思う。このことが夏休み以降の学習の意欲につながっていく。
長女には、落胆でなく喜びを与えることができて、本当によかった。