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「ありがとう」と言える子に育てる 

「ありがとう」と言える子に育てるには、

その価値を自覚し、お手本を示しながら、

繰り返し繰り返し言って聞かせるという躾を

粘り強くしていかねばならない。

これは、□歳になったからできるというものではおそらくなくて、

親の教育(躾け)の結果であろう。

「ありがとう」と言える子に育てるのは、わが子の幸せを望む親の責任だと思う。

『ありがとう』と言える子に (2006.5.23)

今朝のことである。7時頃、長女アキコ(小2)、次女クニコ(年少)そして妻の4人で朝食をとっていた。

クニコが箸を片方落とした。

私は、すぐにとって渡してあげた。

クニコ「お父さん、ありがとう。」

私の目を見ながらはっきりと言った。

うれしかった! ごく自然に「ありがとう」と言えたのだ!

思い起こせば、昨年の『あったかい家族日記』「7.3「ありがとう」と言える子に育てる」によれば、次のようなことがあった。

ありがとうと言えないでいたクニコ

昨日の夕食時のことである。いつものように長女アキコが箸置きを並べていた。

次女クニコは、みんなと同じ白っぽい箸置きでは満足せず、「これじゃない。」と言っていた。「そんなのどれでもいいだろう。」と内心思うのだが、実母がいろんなタイプの箸置きをしまっている引き出しを引いてやった。クニコは、「あっそれそれ。」といって、お花の模様のついている箸置きを選んでもらった。

妻「『あっそれそれ。』じゃないでしょう。ありがとうは。」
クニコは、黙っている。
私「そうだ。ありがとうだ。」
クニコは、相変わらず言えないでいる。
実母「いいよ。いいよ。」
私「だめらて。言えないうちは、『いただきます』できないよ。」といって、食卓から下ろした。
クニコは、それでも言えないでいる。

かまわずみんな食べ始めていると、あーちゃん(祖母)の所へ行き、
「あーちゃん、ありがとう。」(わが家では、おばあちゃんではなく、あーちゃんと呼んでいる。)と言った。
「ちゃんと『ありがとう』と言うんだよ。」と、私。
そして、ようやく夕食を一緒に食べ始めた。約3分遅れで……。(引用)

1年近く前、当時2歳のクニコは、「ありがとう」と自然に言うことが出来なかったのである。

それが今、ごく自然に言えている。親としては、表には出さなかったが、クニコの成長に感激していた。

クニコが「ありがとう」と言えるように育った理由

どうしてそのような子に育ったのか、振り返ってみる。

1.「ありがとう」と言える子にしたいと、そのことに価値を認め、夫婦ではっきりとめざしていたこと。

2.お手本を示してきたこと。
家族の誰かが何か手を貸してくれたときなど、「ありがとう。」と言ってきた。夫婦間、義母・実母との間、アキコが何かしてくれたときなど「ありがとう。」と言ってきた。
もちろん、親戚や友達も場合も、同様である。

振り返ってみると、アキコも小さいときはなかなか「ありがとう。」と言えなかったが、今ではアキコがクニコにお手本を示してくれていた。

クニコのサイドから見れば、家族の行動をモデリングしていたと言える。

3.クニコが何かしてくれたとき、「ありがとう。」と言ってきたこと。
たとえば、帰宅時にお父さんの荷物を、頼みもしないのに持ってくれることがあった。
私が「ありがとう。」というと、クニコは本当に嬉しそうであった。つまり、ありがとうという言葉を言われたときの心地よさを味わってきたこと。

4.繰り返し繰り返しその場で言って聞かせてきたこと。
何かもらったとき、手伝ってもらったときなど、その場でよく言って聞かせてきた。

○「『ありがとう』と言うんだよ。」
○「『ありがとう』と言ったかい?」
○「こういうときは、何と言うんだったかな?」

機会あるごとに、このように言っては、「ありがとう。」というように促してきた。

かくて今朝のようなクニコになったのだと思う。本当に嬉しい。

「ありがとう」の言葉のもつパワー

さて、今この記事を書いていて、20年以上も前のことが鮮明に思い出された。

当時、大学生だった私は、あるサークルに入っていた。障害を持った子供たちを集めて日曜学校を開いたり、障害者問題や障害児教育について勉強したり、障害を持った人を介助しながら一緒に旅行したりしていた。

ある時、私が介助していたある男性は、車いすに乗っている肢体不自由の30歳代の男性だった。

どんな介助をしたのかは忘れてしまったが、その男性はとてもよい笑顔で、「あ・り・が・と」と言ったのだった。

その一言がすごい嬉しくて、「介助してよかった。」と思えたのだった。

「ありがとう。」という言葉は、相手に対してすごい報われた感じというか幸せ感を与えてくれる言葉だと思う。元気回復、癒しのパワーももっている言葉だと思う。

しかも、「そんなに喜ぶなら、またやってあげたい。」という気持ちを相手に抱かせ、本人にまた幸せが返っていくことになる。

まさに、言われた相手も言った本人も幸せにする『ツキを呼ぶ魔法の言葉』なのだと思う。

「ありがとう」と言えない子ども達

さて、逆もある。
この3月の町内会行事「卒業を祝う会」で、卒業する子供たちに図書カードを贈った。 卒業生の二人は、会場の前の方に立って図書カードを手渡しされたのであるが、二人ともただもらっただけで、「ありがとう。」の言葉がなかったのである。

6年生で当然あるはずの「ありがとう。」が出ないとは! 私は本当に驚いた。

もう一つ思い出されるのは、昨年の夏休みのことである。
いとこが東京から遊びに来てたのだが、山ほど花火を買ってきた。我が家族だけでは、あげきれないというかもったいないので、アキコの友人を二人招待して一緒にあげることにした。

招待されたアキコの友達は、「わー、きゃー。」とか「私にもその花火やらせてー。」とか「わあーきれい!」とか言いながら、とても楽しんでいた。

私「おい、アキコ。(花火を買ってきてくれたいとこに)『ありがとう。』って言ったか。」
アキコ「言ったよ。」
私も、もちろん「ありがとう。」と言っていた。

アキコの友達のうち、一人は頭を少し下げて「ありがとう。」と言っていた(小さな声だったが、心がこもっていた。)。

ところが、もう一人の元気のよかった子は、「わー、きゃー。」とか言ってとても楽しんでいたようだったが、「ありがとう。」の言葉がなかった。

その子の親は、「ありがとうございます。」と言っていたが……。

やっぱり「ありがとう。」と言ってくれる方をまた招待したいと思うのが、人情というものだろう。

「ありがとう」と言える子に育てるには、その価値を自覚し、お手本を示しながら、繰り返し繰り返し言って聞かせるという躾を粘り強くしていかねばならない。

これは□歳になったからできるというものでは、おそらくなくて、親の教育の結果であろう。

「ありがとう。」と言える子に育てるのは、我が子の幸せを望む親の責任だと思う が、どうだろう。

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