目次から検索、子育てがうまくいくヒント

親子間の言葉づかいはどうあるべきか?

親子間での言葉遣いは、ただ「優しい」だけでは絶対にいけない! 「敬」がなければ!
それはやっぱり品位というか、あたたかみのある言葉でなくてはならない。

「優しい」だけでなく「敬」がなければ!(2005.8.20)

8月18日、磐梯高原への家族旅行の最中、驚くべき光景を見た!

私たち家族4人、五色沼自然探勝路を散策し、終点の毘沙門沼付近でソフトクリームを食べていたときのことだ。

前方のテーブルに家族5人ほどいた。その父親が椅子に座ってソフトクリームを食べていた。そこへ、小学校6年生ぐらいの男の子が来て、

「どけ!」(これよりもきつい言葉だった。あまりにひどい言葉で自分の語彙になかったせいだろう。思い出せない。)

と言うと、手を引っ張って父親を脇へ追いやり、自分がどかっと椅子に腰を下ろした。

父親はというと、そのまま近くの大きめの石に腰掛けて、ソフトクリームを食べていた。
(「何事もなかったように」と書きたいところだが、その父親はいい顔はしていなかった。)

私は目と耳を疑った。

注意深くその後のやり取りを聞いていても、やはりその子と脇へ追いやられた大人は父と子という間柄だった。

私だったら、絶対に許さない! たとえ楽しい旅行中であろうが、周囲の人が見ていようが、強く叱責する!

この場合、少なくとも、「お父さん、私にすわらせて。」とお願いするか、「お父さん、私の場所でしょ。」(仮にトイレに行っている間に場所を取られたとしたら)と優しく言うかである。

今から6、7年前の似たような情景が急に蘇ってきた。

当時勤務していた小学校の廊下で、6年生の女の子が自宅に電話していた。

聞くとはなしに聞いていたというか聞こえてきたのだが、その女の子は、

「おい、じじい、傘もってこい!」

と言っていたのである。

ほどなくして、その女の子のおじいさんが来て、傘を渡していた。

6年生のその子は、1年生の時担任していた子だった。

そのおじいさんは、その子が1年生だった時、同じように急に雨が降り出したとき、気を利かせて傘を学校まで届けていた。そんなシーンも蘇ってきた。(毘沙門沼の地で)

優しいおじいちゃんだ。急に雨が降り出したのを見て、かわいい1年生の孫が雨に濡れるのがかわいそうで、学校に駆けつけたのだろう。そして、6年生になった娘にまた同じように傘を届けている。

さきの父親も、おそらくある意味で優しいのだろう。

しかし、「敬」がない!

家族はもっとも身近な社会で、社会生活の基本単位である。ここでの家族同士のかかわり方の延長線上に、学校、職場……でのかかわりがある。

それがお願いする立場にありながらやってもらうことを当然と思い、感謝どころか、「どけ!」「じじい、傘もってこい!」では……。

かわいそうだ! その父親やおじいさんではなくて、その男の子や女の子が……。

間違いなく自己中に育ってしまうだろう。というより既に育っている。自分を大切にしてくれる人、お世話になっている人を、大切に扱うどころかぞんざいに扱う。

こんな状態では、幸せがその子から逃げていくだろうから。

「どけ!」「じじい、傘もってこい!」こんな言葉遣いをする子に育てた責任は、優しい親と祖父母であろう。

ただ優しいだけでは絶対にいけない!「敬」もなければと、私は強く思った。

美しい言葉を使う人を言葉美人というそうだ。周囲がこんな状態だと、言葉美人である人は光り輝いて見えるに違いない。

言葉美人に育てたいものだ。いや少なくとも、言葉不美人には育てたくない。いっしょにいるだけで、居心地が悪いから。わが子から幸せが逃げていくから。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

ツールバーへスキップ