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長男の死を前にして、親ができること――最愛の長男を亡くした親の悲しみ

《読み始める前に》

近所に住む同級生の長男が、19歳で旅立ちました。
その通夜に参列した私は、父親の言葉と涙に触れながら、「最愛の長男を亡くした両親の悲しみ」「親のわが子への想い」を深く考えさせられました。
後段には、私の兄が同じく白血病で26歳で亡くなるまでの母の様子を記しました。


パパの子育て奮戦記:第40号
長女アキコ(6歳)、次女クニコ(3歳)、ママ、パパ(私)、祖母(69歳)


近所の同級生の長男、19歳で逝く

近所に小・中学校の同級生がいます。彼は私より早く結婚し、長男(19歳)、長女・次女(高校生・中学生)がいる父親です。

今週火曜日の夜、家の近くに高校生らしい子たちがたくさん集まっていました。
聞けば、この春高校を卒業したばかりの同級生の長男が亡くなったとのこと。

水曜日の夜、その通夜に参列しました。会場には約400名が集まり、高校生など若い参列者であふれていました。会場には故人をしのぶ写真や品々が展示され、涙を誘いました。

リーダー気質の息子と父の無念

聞けば、長男は中学・高校で応援団長や学級委員を務め、バンドやバスケット部でも活躍した人気者だったそうです。男女問わず慕われ、会場には若い女性も多く参列していました。

同級生で喪主である父親は涙ながらに、次のように語りました。

去年の8月31日に白血病であると診断された際、医者に本人に告知するかどうか聞かれました。「治る見込みがあるなら告知する」と医者に話したところ、五分五分だと言われました。結果、長男と一緒に医師の説明を受けた上で、約10ヶ月間、一緒に闘病しました。

「苦しむ息子を救ってやりたいが、何もできない。」と涙で声を詰まらせる父親の言葉に、会場のあちこちですすり泣く声が響きました。

最後まで「生きる」を支えた家族の選択

今も強く記憶に残っているのは──

  • 希望を持たせるために自動車学校へ通わせ、免許を取らせたこと。

  • 一時帰宅の際に登校させ、先生方の配慮で病院でも学校からの課題を続け、高校を卒業できたこと。

  • 卒業後、特例として看護師養成の専門学校へ入学できたこと。

  • 「あと1か月も持たない」と言われたとき、すぐに自宅に連れて帰り、長男の友人や家族と過ごしたこと(今週の月曜日)。

その後、病院に戻って病状が急変し、火曜日、母親に抱かれて息を引き取ったのです。

過去記事を思い出して

以前、このあったかい家族日記で「生命や安全を脅かす事件が頻発している」と題して、次のように書きました。

「〜JR西日本の脱線事故の場合は、連日のように亡くなった人のそれまでの人生やなくなった後の残された家族について報道されていた。ミュージカルで活躍することを夢見ていた人や、孫ができて世話に通っていたおばあちゃんなど、一瞬にして夢や幸せを絶たれた本人の無念。残された家族の悲しみを知るにつけ、どうしようもない無力感を感じたのだ。
いくら健康や安全に気を配っていても、どうしようもないではないかと。せっかく将来のために、勉学に励んだり努力したりしても、こんな事件に巻き込まれてしまえば、一巻の終わり。そんなことを考えると、努力しても無駄ではないかと〜」

このように、私は「努力しても無駄ではないか」と無力感を覚えました。

しかし今回の通夜を通して、思いが変わりました。

「死ぬのがわかっているからこそ、逆に生きている今を大切にするのではないか」──。
「どうせ死ぬんだ、自動車学校のお金なんてもったいない、専門学校への入学金も無駄だ」ではないのです。

親としてできること

親として、子どもが生きているうちにできる限りのことを、精一杯のことをしてあげたい。

そして最後に、子どもから
「お父さん、お母さんありがとう。幸せだったよ」
「お父さん、お母さんの子でよかったよ」

そう言われるようでありたい。
同級生の父親の言葉を聞いて、あらためてそう思いました。

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今、振り返ってみて

幼なじみの同級生と、その最愛の息子

父親の同級生は、子どもの頃、一緒に野球をしたり、缶蹴りをしたり楽しく遊んだ仲でした。思い起こせば、父親も、中学時代バスケットボール部のキャプテンをし、高校時代にはバンドもしていました。そんな自分をなぞるように成長してきた長男は、まさに最愛の息子だったと思います。

「子に先立たれる親ほど不幸はない」

と言いますが、裏を返せば「親よりも早く亡くなるほどの親不孝はない」とも言えるでしょう。けれど、本人も親も望んでそうなるわけではないのです。この世は本当に厳しい、と感じます。

私自身の体験──兄を白血病で亡くす

実は私の両親も、長男(私から見れば兄)に先立たれています。兄が26歳の時で、病名は同じ白血病でした。

初めての子でしたから、母はかわいがり、ピアノ、絵画、そろばん…とたくさんの習い事をさせました。高校も進学校に入れたくて家庭教師もつけました。でも、そこまでの学力はなく、個別懇談後に、がっくりとしていた母を思い出します。

高校受験のプレッシャーは、長男に重くのしかかりました。
なんと高校受験の1週間前に、長男は十二指腸潰瘍が元で腸に穴が開き、激痛で病院に運ばれました。即手術で、手術途中に呼ばれた母は、腸の穴から出たものが元で膿でいっぱいにお腹を見せられ、失神してしまったそうです。

初めこそ、高校の2次募集に間に合うだろうかなどと悩んでいた母でした。しかし、生死を彷徨う長男の姿を見て、「高校なんてどうでもいいから、とにかく助かって!」と祈ったそうです。

夢を追い、そして病に倒れる

その後、一命をとりとめた長男は、3ヶ月以上入院を余儀なくされ、当時としては極めて珍しい中学浪人となりました。

そして、教育委員会の計らいで、中学3年生を2度やることになったのです。

大学はわざと4年生を留年して、歌手を目指して頑張っていました。当時あったテレビ番組「スター誕生」のオーディションにも参加し、「3次選考まで行ったけど、顔がダメだったから落ちた」と言っていました。

母によれば、プロの歌手布施明」の前座を務めるほど(ポスターが送られてきた)がんばったそうですが、結局歌手への夢は諦め、一旦東京で就職したものの、結局地元新潟に帰ってきて就職しました。

そして、「今の仕事は、性に合ってる」と言い、結婚まで考えて付き合っていた彼女もいた絶好調の時に、兄は白血病を発症したのでした。

どんなに重い病気でも回復していく病気なら看護のしがいがあるでしょうが、半年後の命の長男を相手に、母は一生懸命看護していました。

途中で何度か一時退院をしたのですが、友達を呼んで大騒ぎしている長男のために、せっせと料理を作り、ビールを運んでいた母の姿を思い出します。

本当の病名も長男に隠していた母ですが、隠し通すのも辛かったと思います。

最期に残した一行

私が就職して特別支援学校で体育の授業をしていた時、「兄危篤」と連絡が入りました。すぐに高速バスに乗り、約100km先の病院に向かいましたが、わずかに間に合わず、病院のベッドの両脇で両親が泣いていました。

4月16日、兄は26歳の若さで亡くなりました。

その後、遺品を整理していた時、病院や自宅で書いていた兄の日記ノートが見つかりました。

兄は、ノートの端っこに

「僕を一番愛してくれたのは、母だった」

と書いていました。

母は、長男を望んだ通りの進学校へはやれずにそれどころか中学浪人。大学もわざと留年して5年間歌手を目指すも夢叶わず、地元に就職。26歳で急逝した長男。

それでも、

「僕を一番愛してくれたのは、母だった」

と書かれた母は、子育てに成功したのではないかと、私は思います。

結局叶わなかったとはいえ、長男は精一杯夢に生きることができたのですから。

そして、母の愛を確信して逝ったのですから。
(2025/09/21)

📝 自分に問いかけてみる時間

もし、わが子に“限られた時間”が告げられたら、あなたは今なにをしてあげたいですか?

あなたの子どもは、「自分は愛されている」と確信できていますか?

子育ての成功とは、何だと思いますか?目に見える結果だけで計っていませんか?

結果として夢が叶わなくても、挑戦を支えることに意味はある――そう思えますか?

📝 簡単なワーク

1. 今日中に、子どもへ「大事に思っているよ」「生まれてきてくれてありがとう」と一言伝えてみましょう。口頭でもメモでもかまいません。

2.過去1週間を振り返り、愛を届けられた行動を3つ挙げてみましょう。できなかったことがあれば、それも書き出してみてください。そのうえで、明日からの小さな1歩をひとつ決めてみましょう。

子育ての悩みは尽きません。「子に先立たれる親ほど不幸はない」と言います。そうであるなら、「我が子は生きている」こと自体が大きな希望です。いま目の前でできることを一つ、考えて実行してみませんか。

※ 実は、「認知症の実母をAI自宅介護する」noteも書いています。
ただ、発達凸凹な子ども専門の学習塾を運営したり、発達凸凹な子どものママパパ向けのミラクル子育て講座を開催していたりで、忙しく、こちらまで手が回っていません。

※ 結婚を考えていた彼女のことは気になると思いますが、それまで書き出すと長くなるので、今回は割愛します。

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「あったかい家族日記」は、長女アキコ(2025年8月現在27歳・既婚)と次女クニコ(23歳・公認会計士)の成長を、パパの視点で約20年間にわたり綴った実録子育てエッセイです。
*二人が幼児だった頃から大学入学、そして結婚前後までの家族の日々を記録し、累計アクセス数は400万を超えました。
*七田チャイルドアカデミー校長・七田眞氏にも「子育てに役立つブログ」として推薦された本連載は、So-netブログ閉鎖(2025年3月)を機に、「記録」と「今の視点」を重ね合わせて再編集した〈日々の記録に、“今”を添えた子育てエッセイ〉として、noteで再連載しています。
*この文章は、2005年7月5日にSo-netブログで公開された『19才の長男を亡くした父親(同級生)の通夜に出て思ったこと』に、「今、振り返ってみて」を加筆した再構成エディションです。

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