★リード:今日<2013.5.25(土)>は、次女クニコ(小5)の運動会でした。
クニコは、放送委員として、運動会開会式と閉会式の司会のアナウンスや、70m走、100m走、3・4年リレーなどの種目のアナウンスの仕事を分担していました。
思い起こせば、クニコが(5歳、年中)の時、「七田チャイルドアカデミー発表会」がありました。
その発表会では、クニコはあがって泣き出してしまったのです。それが、大勢の人が見ている場で、放送委員として堂々と運動会のアナウンスをしている……。子どもは変わるものですね。
🔶1放送委員となったクニコ
4月のこと。
クニコ「放送委員になったよ。」
妻「ホント。お姉ちゃんはなりたくても、なりたくても一度もなれなかったのよ。」
蛇足ながら、長女アキコは、幼稚園の時「冬ソナ」にはまり、ユジンに憧れた。そして、ユジンが放送委員だったように、絶対放送委員になるんだと思っていました。
ところが、連続して放送委員になれた子がいた一方で、アキコは第一希望にずっと「放送委員」と書いていたにもかかわらず、一度も放送委員になれませんでした。
当時、連絡帳に「アキコは、幼稚園の頃から放送委員になるのが夢だったんです。できたらかなえてあげてください。」と、担任の先生宛によほど一筆書こうと思った。しかし、担任の裁量権への介入だと考え、思いとどまったことを覚えています。
🔶2運動会の放送練習をするクニコ
さて、昨夜のこと。クニコは、妻にドライヤーをかけてもらいながら、放送原稿を読んでいた。
クニコ「ご来場の皆様も、ご起立ください。国旗掲揚塔に、ご注目ください。」
クニコ「校歌斉唱。 指揮、6年 Kさん。」
クニコ「来賓、あいさつ。PTA会長、K様 よろしくお願いします。(降壇後)ありがとうございました。」
クニコ「選手宣誓。」
クニコ「つづいて、ラジオ体操を行います。スポーツ委員のみなさん、お願いします。」……。
6年生の放送委員の子と分担して言うのだが、開会式だけでも、結構な量である。
「うーん、放送委員なわけだから、運動会のアナウンスをするんだな。結構たくさんの台詞があるんだな。こりゃ、楽しみだ。」と、私は思った。
🔶3運動会の放送で活躍するクニコ
開会式の間中、クニコともう一人の放送委員の子は、本部テントにいた。そして、二人で順番にマイクを回しながら、開会式の司会をしていた。
6年男子放送委員「……国旗掲揚。全体、回れー、右! 帽子を取ってください。」
5年放送員クニコ「ご来場の皆様も、ご起立ください。国旗掲揚塔に、ご注目ください。」
以下、開会式、競技中、閉会式とクニコは、あがるどころか、とても落ち着いていた。口調はなめらかで、聞きやすい声だった。
クニコ「3,4年生の活躍に拍手をお願いします。」(3・4年生リレー後)
私も、妻も、祖母も、クニコの放送委員としての活躍に目を細めた。
そして、昼食をグラウンドでいっしょに食べながら、放送委員としての活躍ぶりをみんなでほめた。
🔶4かつては大勢の人の前で発表できなかったクニコ
閉会式後、私と妻、アキコ、クニコ、実母、義母、義兄の7人で外食に出かけた。
そこで、クニコの活躍ぶりを、みんなでほめた。
私「放送委員のアナウンスは上手だったけど、クニコが年中だったときの七田チャイルドアカデミーの発表会では泣き出してしまったよね。」
妻「そうだったわね。」
クニコが(5歳、年中)の時、「七田チャイルドアカデミー発表会」があった。その発表会では、クニコはあがって泣き出してしまったのだ。
それが、大勢の人(約500名)が見ている場で、放送委員として堂々と運動会のアナウンスをすることができた。私も、妻も感慨深いものがあった。
当たり前のことだが、生まれてすぐに歩ける子も、話せる子もいない。かけ算九九ができる子もいない。すべて少しずつ身につけていくもの、獲得していくものである。言い換えれば、教え育てていくものである。
大勢の前であがらないで話すことも、偏食も直すことも、はじめはできなくても可能なことなのである。
なぜなら子ども(大人も)は変われる存在、成長する存在だから。
言い換えれば子どもは発達可能性をもった存在から。
クニコの変容ぶり成長ぶりを見て、あらためてそう思った。
◆関連記事
母ショック! 七田チャイルドアカデミー発表会であがってしまったクニコ
◆留意点・その他
・~N教室28名の発表において、0歳児や1歳児の発表者(4名)だけは、お母さんも一緒にステージに上がった。3,4,5,6歳児14名中お母さんと一緒にステージの上に上がったのは、クニコ一人。発表ができなかった子も、泣いた子も、全発表者の中でクニコ一人であった。~
(「母ショック! 七田チャイルドアカデミー発表会であがってしまったクニコ」より)
近況:
今日は、次女クニコ(小5)の運動会であった。100m走の第1組1コースで出場したクニコは、見事1位でゴールテープを切った。
応援していた私と妻、祖母(アキコは部活でいない)は、大喜びであった。
アキコは、小5の時、応援団だった。クニコは、放送委員として運動会の司会のアナウンス役であった。