この3連休の3日間とも、野球部の活動がある。17日(土)は公式試合、18日(日)午前中練習、19日(月)練習試合である。日曜日の今日、アキコ(中1,13歳)は、用意した水筒を忘れていった。熱中症対策の要となる水。今日も天気は晴れで暑くなりそうだ。わが子が忘れたことに気づいた親は、どうすべきか?!
親は忘れ物を届けるべきか……?! 2011.9.18 第848号
ー熱中症対策の水筒を忘れたアキコー
水筒を忘れたアキコ
18日の朝8時には、アキコは部活動のために中学校に向かっていた。
妻「アキコ、水筒忘れていったわ。どうしようか。」
私「二つ方法がある。自己責任を学ぶために、もっていかない方法。忘れて困る体験をして、今度は気をつけようという学びができる。もう一つは、親のストレートな愛情を示すために、アキコが忘れた水筒を届けに行く方法。まあ、今日の野球部の練習は、午前中だけだし、困ったらお友達からもらえばいいだろ。」
妻「お友達からは、アキコの性格からしてもらわないと思う。」
私「助けてもらう術も(身につけなければならない)大切なことなんだけどな。」
妻「届けに行くなら、すぐがいいかしら。」
私「いや、少し困ってからの後半の方がありがたみを感じていいと思うよ。」
妻「ああ、そういえばグランドに水道があったわ。」
私「じゃあ、いいじゃないか。その水を飲めばいい。」
妻「でも、冷たくないんだわ。」
私「常温の方が体にいいみたいだよ。それに、少し困った方がいいだろ。時々アキコは忘れ物をするから、今度、冷えたものを忘れないようにしようと考えるだろう。」
妻「アキコは、基本的には忘れ物をしない子だわ。」
私「それはわかってるよ。教師として、いろいろな子を見てるから。アキコは、忘れ物をしない方だよ。」
かくて、熱中症になりかねない天気ではあるが、水道はあるから心配はないし、自分が忘れた結果として少し困った経験をさせようということで、水筒を届けないことになった。
アキコはどうしていたか
12時30分過ぎ、アキコが帰って来た。
昼食時、そうめんを食べながら
私「ああそうだ。今日水筒を忘れていったろ。どうしてた?」
アキコ「うーん、水道の水を飲んでいた。」
私「やっぱり。さすがお母さんの読み通りだ。 友達から飲ましてもらえばよかったのに。」
アキコ「それはいやだ。」(持っていくのを忘れた自分が悪いのに、友達に迷惑をかけたくない。)
以上だけである。
自分が忘れたのにもかかわらず、
「どうして水筒届けてくれなかったの!」
などと、帰宅早々親に訴えることもなく、又ちゃっかり友達に助けを求めるわけでもない。アキコは、水筒を忘れてしまったという自分の行動に、たんたんと責任をとっていた。すなわち、水道の水を飲むことで対処していた。おそらく「しまった!」ぐらいは思っただろうが、すぐに「しょうがない。水道の水を飲もう。」と、気持ちを切り替えたのだろう。
自分で自分の行動に責任をとる経験を
親のコントロール下にあるうちに、適度に困る経験をさせること。自分で自分の行動に責任をとる経験をさせること。このことも、大切だと、私(たち)は考えているからこそ、心配しつつも、最終的に忘れ物を届けに行かないと判断した。
やっぱり届けなくてよかった。親が安易に届けていれば、「自分の失敗は、親がカバーしてくれる」と親への依存心を助長することなっていた可能性があった。
親のストレートな愛情は決して否定しないが、そのことが逆に子どもの成長(失敗経験からの学びetc.)をブロックしていないかどうかをふり返るだけの冷静さは、もちたいものである。
一方、
親「アキコ、水筒を忘れてるぞ。熱中症になったら、どうするんだ!」
アキコ「ありがとう。」
このような対応もありだと、私は考える。子どもが親のストレートな愛情を感じ、信頼する機会とする方法である。この意味では、親は、一つの方法に凝り固まらない柔軟性も、もちたいものである。
わが子は、思いの外たくましく成長しているのかもしれない。
その場の状況が手に取るように分かる文脈でした。自分はどうしていたでしょうか?
携帯を持っていたら連絡したかもしれませんね。自己責任のこともね〜教育は奥が深いですね!
コメント、ありがとうございます。
対応は正解が複数あると思っています。その範囲なら、結構柔軟性をもって対応していいかなと思っています。