19才の長男を亡くした父親(同級生)の通夜に出て思ったこと 2005.7.2 第40号
近所に小学校・中学校の同級生がいる。私よりずっと早くに結婚し、長男が19才、長女・次女は正確には知らないが高校生・中学生だろう。つまり、3人の子を持つ父親である。
今週の火曜日の夜、家の近くで高校生らしい子供たちがたくさん集まっていた。聞いてみると、この春高校を卒業したばかりの、同級生の長男が、亡くなったことがわかった。
水曜日の夜、その通夜に出た。高校生などが多く来て、約400名の参加者で会場はいっぱいというか、入りきれない人も出ていた。会場には、故人をしのぶ写真や品々もたくさん展示され、涙を誘っていた。
聞けば、中学・高校と応援団長や学級委員をするなど、リーダー性の強い子だったらしい。バンドやバスケット部でも活躍し、男女を問わず人気があったようだ。(参加者に若い女性が多かった。)19才まで育てた最愛の長男を亡くした両親の悲しみは、いかに大きいことだろう。
同級生で、喪主である父親の話によれば、去年の8月31日に白血病であると診断されたそうだ。
医者に本人に告知するかどうか聞かれ、「治る見込みがあるなら告知する。」と医者に話したそうだ。そして、五分五分ということで長男と一緒に医者の説明を受けたそうだ。それから約10ヶ月間、一緒に病気と闘ったそうだ。
「苦しむ息子を救ってやりたいが、何もできない。」と涙し、言い詰まりながら話していたのだが、父親としての思いがひしひしと伝わってきた。父親の話の端々で、すすり泣く声があちこちで聞こえた。
特に今も強く記憶に残っているのは、希望を持たせるために自動車学校へ通わせて免許を取らせたこと。卒業できるように一時帰宅の際登校したり、学校の先生の配慮で病院で学校の課題をしたりして、何とか卒業できたこと。卒業後も、特例として看護師を育てる専門学校へ入学できたこと。そして、後1カ月も持たないと言われた時、すぐに自宅に連れてきて長男の友人や家族と過ごしたこと(今週の月曜日)。その後、病院に戻って病状が急変し、火曜日に母親に抱かれて息を引き取ったことなどである。
以前のあったかい家族日記「2005.6.13(月)生命や安全を脅かす事件が頻発している」に、
「~JR西日本の脱線事故の場合は、連日のように亡くなった人のそれまでの人生やなくなった後の残された家族について報道されていた。ミュージカルで活躍することを夢見ていた人や、孫ができて世話に通っていたおばあちゃんなど、一瞬にして夢や幸せを絶たれた本人の無念。残された家族の悲しみを知るにつけ、どうしようもない無力感を感じたものだ。いくら健康や安全に気を配っていても、どうしようもないではないかと。せっかく将来のために、勉学に励んだり努力したりしても、こんな事件に巻き込まれてしまえば、一巻の終わり。そんなことを考えると、努力など無駄ではないかと~」
などと書いていた。
死ぬのがわかっているからこそ、逆に生きている今を大切にするのではないか。「どうせ死ぬんだ。自動車学校のお金ももったいない。大学の入学金ももったいない。」では、ないということだと。
親は、子どもが生きているうちにできる限りのこと、精一杯のことをしてあげたい。そして、「お父さん、お母さんありがとう。幸せだったよ。」「お父さん、お母さんの子でよかったよ。」こう言われるようでありたい。