2009年3月8日(日)、次女クニコ(6歳)が、小学校入学直前にして、一人で自転車に乗れるようになった。実母、私、妻、アキコの励ましや支えを受けて、ようやく乗れるようになった。
クニコが自転車に乗れるようになった日 2009.3.14 第567号
3月8日(日)の夕方、次女クニコ(6歳)が、小学校入学直前にして、一人で自転車に乗れるようになった。
クニコが自転車に乗れるようになった日
この日の夕方、3時過ぎから4時30分頃までアキコ、クニコとすぐ向かいの小学校のグランドで遊んだ私は、妻とバトンタッチして、家でゆっくりとしていた。すると、
アキコ「お父さん、来て!」
私「どうした?」
アキコ「クニコが自転車に乗れるようになったよ!」
私「そうか。じゃあ、記念に写真とビデオを撮ろう!」
アキコと私は、小学校の駐車場(休み中なので、がら空き。ここで練習していた。)に向かった。
クニコ「じゃあ、見ててね。」
こう言って、たどたどしいながらも、5メートルほど一人で自転車に乗った。
私「ほう、やったね! 一人で乗れるようになったね!」
こう言いながら、カメラを回し、映像と写真を撮った。
クニコはもちろん、妻もアキコも笑顔であった。
アキコは励まし、妻は自転車の後ろを支えて、クニコは何回も練習したらしい。
私が帰った後も、練習を続け、10メートル以上も乗れるようになったということだ。
この日が、「クニコが自転車に一人で乗れるようになった日」となった。
自転車に乗れるようになるまでの道のり
クニコが自転車に乗れるようになるまでをふり返ってみる。
1.お姉ちゃんのアキコが自転車に乗っている姿を眺めていた時期
アキコが幼稚園から帰って来て、よくアパートの駐車場で楽しそうに自転車に乗っていた。(この時は、転勤でアパート暮らしだった。)
クニコは、それを眺めながら、次のように思っていただろう。
・「自転車に乗るのは、おもしろそうだな。」
・「ああやって、ペダルを漕げば、進むんだな。三輪車と同じだ。」
・「車の余り来ない、安全なところで乗るんだな。」……。
つまり、自分で乗っていなくても、お姉ちゃんが乗っている姿を見て、自分もいつか乗ってみたいという意欲をもったり、乗り方を知ったり、それとなくルールを学んだりしていたはずである。それこそ、「自分もいつか乗れるようになるんだ!」という意志を、自然ともったに違いない。
2.アキコの自転車をもらい受け、自分で乗り始めた時期
アキコが小学校に入学し、新しい自転車を買ってもらったと同時に、アキコの使い古した自転車がクニコのものになった。
使い古しでも、クニコは喜んだ。乗ってみたいと思っていた自転車に乗れることになったからである。補助輪付きにして、クニコは乗り始めた。補助輪があるうちは、ある意味、三輪車と同じだ。クニコは、慣れると安心して乗っていた。
3.補助輪付きで、すいすい乗れるようになった時期
補助輪付きで、十分慣れてくると、むしろ補助輪が邪魔になってくる。ない方が、スムーズに走るのである。実際、補助輪は形としてあっても、実際は使っていない時(むしろ邪魔になっている)の方が多くなってくる。
実は、去年の秋も終わりの頃、そんな状態に近かったので、一端補助輪を外した。
ところが、少し早かったみたいで、補助輪の代わりに私や妻が自転車の後ろを支えても、クニコは一人で乗れるようにならなかった。
妻と、「少し補助輪を外すのが早過ぎたな。」と話していた。
実母も、近くの空き地で、何回も転ぶクニコをだいぶ特訓したらしい。
そうこうするうちに、冬となり、自転車には乗れなくなった。(ここは、雪国である。)
年が明け、小学校入学を直前に控えたこの3月、ようやくクニコは自転車に乗れるようになった。母、アキコの励ましや支えによって。
こうして、一つ一つできるようになることが増えていく。
私も母の支えで自転車に乗れるようになった!
実は、クニコが妻に支えてもらいながら練習を重ね、乗れるようになったとき、私はかつて小学校のグラウンドで母に自転車の後ろを支えてもらいながら練習を重ね、乗れるようになったときの自分を思い出していた。「あーそう言えば、ボクもそうだったな。」と。
補助輪を外してもなかなか一人で乗れず、夕方母に支えてもらいながら練習した私。何度も練習を繰り返し、ふっとある瞬間一人でできるようになった。
私が自転車に乗れるようになったのは、母の支えがあったのだ!
この、ずっと忘れていた記憶が蘇った。
クニコも、母やアキコなどの支えで自転車に乗れるようになったことは、ほどなく忘れてしまうだろう。
がしかし、自分が子どもを産み育てる過程できっと思い出すに違いない。
「あーそう言えば、私もお母さん(お姉ちゃん、あーちゃん、お父さん)に支えてもらってできるようになったんだ。」と。