「お母さんの作ってくれた、この料理おいしい!」と言ってくれたり、作ってくれることに感謝してくれたりすることはめったにない。
「ねえ、ご飯まだできないの?」と不平は言うが、いっしょにご飯を作ったり、手伝ったりしてくれることもない。
ましてや、具合の悪い親の代わりに、簡単なご飯を用意するなど、夢のまた夢。
思い当たる親御さんも、多いのではないでしょうか。なぜそうなるのでしょうか。
それは、作る側に立ったことがなく、作る側の願い(おいしく食べてほしい、健康になってほしいetc.)や大変さが実感としてわからないからだと思います。「おいしく食べてほしい」という願いをもって作っていることや、料理が大変なことを実感としてわかれば、作ってくれることに感謝の気持ちをもて、「おいしい!」という言葉も自ずと出るでしょう。
作ることの大変さも実感としてわかっているので、不平を言うどころか、お手伝いを買って出ようとするでしょう。
実際、親の具合が悪いときなど、親の代わりに簡単な料理を作ることもできるでしょう。
つまり、作る側に立てるように、少しずつ少しずつ教えていけばいいのです。
そのために、とても有効な方法の一つが、毎月1回「母(親)と子の料理教室」を開いて、お母さん(親)が料理を教えることです。子どもは、お母さんのように(できるように)なりたいと思っており、幼児や小学生であれば、お母さんといっしょに料理をつくることは、ふれあえる楽しい時間となります。そして、教えてくれたお母さんにちょっぴり尊敬の念を抱くでしょう。
もちろん、料理ができるようになることは自立に直結し、自信にもつながります。
これだけの価値がある親子料理教室ですからオススメです。子どもは、大人に近づきたいと思っていますし、成長したいと思っています。ですから、新しいことに挑戦するのは、本来大好きです。ぜひそんな時期を逃さずに、いっしょに料理を作ることをオススメします。中学生になって部活動で忙しくなる前の小学生や、幼児のうちの方がオススメです。
わが家は、子どもが幼児、小学生のうちは、毎月「母と子の料理教室」と称して、母親が子どもに教えながら、いっしょに料理を作っていました。
次に紹介するのは、初めての「うどん作り」の実践です。うどん作りといえども、たとえ100回作ってもらっても、教わらなければ自分で作ることはできないのです。
★母から教わった、初めての「うどん作り」2010.1.17 689号
母と子の料理教室で何を作るか
この日曜日、遅めの朝ご飯を食べながら、
私「今日は、<母と子の料理教室>だよね。結局何を作るの。」
アキコ(小5)、クニコ(小1)「ホットケーキ!」
私「それでもいいけど、ホットケーキなら野菜が足りないから、野菜サラダも作ってね!」
妻「うどんなんかどう。」
クニコ「(うどんを作るために)足で踏むんだ。」
私「うどん自体はできているのを使うんだよ。お父さんは、ホットケーキより、うどんの方がいいな。」
アキコ「アキコは、どっちでもいい。」
クニコ「クニコはホットケーキがいい!」
お昼はうどん、3時頃今度は、おやつとしてホットケーキ作りに落ち着いた。
(実際はうどん作りでへとへとになったのか、ホットケーキ作りはしなかった。)
うどん作り開始
私が書斎で仕事をしていると、うどん作りが始まった。
ちょっとキッチンへのぞきに行くと、アキコとクニコがタマネギを切っていた。
■タマネギを切る
母「そこのところ硬い芯だから、包丁で取ってね。」
アキコ(一生懸命取ろうとするがなかなかうまくいかない……)
母「そうじゃない、こう。」(とお手本を示す。)
母「今度は、薄く切っていってね。 指を切らないように気をつけてね。」
■うどんをゆでる
母「じゃあ、うどんをばらばらと入れて。くっつかないように、ばらばらとね。」
アキコ・クニコ(アキコそれからクニコの順に、それぞればらばらと<固い>うどんをなべ<沸騰したお湯の中>に入れる。「クニコもやりたい!」などと言いながら。)
■卵を入れる
出来上がり
妻「お父さん、できたわよ!」
私「はい、はい。 うわーおいしそうだな~。」
クニコ「御仏と皆様のおかげにより、このごちそうを恵まれました。ご恩を喜び、有り難くいただきます!」
(クニコが通っていた保育園で学んだ言い方。クニコが保育園に通っているときから、わが家では、クニコは<いただきます>と言う係だった。)
みんな「いただきます。」
私「おいしいよ!」
母「ちょっと、タマネギが堅かったかな。もう少しゆでればよかったかもね。」
私「いや、おいしい。でも、ほんの少しだけうどんが冷たいかも。」
母「水で洗った後、お汁にいれたんだけど、少しお汁が冷め始めていたかも。」
こんなやりとりをしながら、みんなで美味しくうどんを食べた。
お片付け
母「じゃあ、片付けね。」(流しまで食器を運ぶのは、いつも自分のものは自分でしている。これは食器洗いを意味している。)
クニコ「えっ、片付けもするの! めんどくさい!」
母「お母さんは、いつも一人で片付けをやってるのよ。」
私「油を使ったわけでもないし、いつもの料理よりも(食器洗いは)楽だろ。」
クニコ「めんどくさ~い。」と言いつつやる。アキコはたんたんとやっている。
感想と学び
夕食時のグッド&ニュー(その日よかったこと、心に残ったこと、ニュースとなるようなことを話す)で、今日の母と子の料理教室「うどん作り」の感想を訊いてみた。
私「今日の母と子の料理教室での、うどん作りはどうだった。感想を教えて。」
クニコ「う~んと、初めてうどんを作って、やり方がわかった。」
アキコ「アキコも同じ。」
私「それで?」
クニコ「う~ん、(間)楽しかった。」
アキコ「(間)おもしろかった。」
二人とも、初めてうどんの作り方がわかったのであった。そのことが一番心に残ったのであった。
妻である母は、子どもたちのために、今まで何回うどん作りをしただろうか。少なくとも100回以上(1ヶ月に2回としても1年間に24回、4年間で約100回となる)はしたはずだ。
それでも、ただ食べているだけで、作り方を教わらなければ、やっぱりうどんの作り方はわからないのである。
作っているときの様子を見ていると、アキコ、クニコは自分でやりたがり、実に楽しそうであった。やっぱり大人に近づきたいのである。お母さんのように(できるように)なりたいのである。
できなかったことを、お母さんから教わり、できるようになったアキコとクニコ。
教えてくれたお母さんに、ちょっぴり尊敬の念を抱いたに違いない。
それに、一歩大人に近づいたような気持ちがして、アキコ、クニコはうれしかったようだ。
以前のブログ記事「2006.8.5 初めてカレー(アキコ)とサラダ(クニコ)を作った日」の最後に、次のように書いた。
親子の絆の深まり・信頼感・成功経験と自信……これらは、カレーや野菜サラダを作る能力を獲得する以上に、価値あることではないかと思う。(引用)
今もって、そう思う。
さらに、いつも作ってもらう側であったのが、作る側に回るとき、きっと作った人の願い(美味しく食べてほしい、健康になってほしいetc.)や苦労(嫌いな野菜を美味しく食べてもらうには…、栄養のバランスをとるには…etc.)が分かり、心も大きく育っていくのだろう。