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★娘の結婚式当日ー眠れない夜に考えた娘との思い出ー

結婚式シリーズ

🔶1 長女が生まれた日

長女が生まれたのは8月8日、土曜日の午前中だった。
とても良いお天気で、お昼近くだった。

午前中に生まれたばかりの長女を抱いた。
午後になってすぐにまた産婦人科病棟に行って長女を見て、夕方になってまた婦人科病棟に行って、長女を見た。
そして夕食後、また産婦人科病棟に行って、また長女を見た。
そうしたら、産婦人科病棟で有名になってしまった。

🔶2 運の良い名前をつけるべく、三日三晩考えるーつけた名前は「アキコ」ー

長女に、運の良い名前をつけようと、3冊ほどの「名付けの本」を見ながら、三日三晩考えた。

結果、「アキコ」と命名した。
夏の晴れた日の、お昼近くに生まれたこと。
太陽のように輝いてほしいこと。
日当たる場所で活躍してほしいこと。
言い換えると、表通りをまっすぐに歩いてほしいという願いを込めて、
「アキコ」と命名した。

🔶3 本の読み聞かせは至福の時間ー読書好きに育った長女ー

0歳児から10歳ごろまで、本の読み聞かせば、私の担当だった。
ほぼ毎晩、長女のために読み聞かせをした。
わが子抱いての読み聞かせは、私にとって至福の時間だった。
江戸川乱歩シリーズを、小4にして全て読み終えた長女。
おかげで、長女は読書好きに育った。

🔶4 お父さんと認められいるのがわかって感激した日!

現職教員のまま、2年間大学院で学んだことがある。
当時、長女が2歳から3歳の時だったのだが、
妻と私と長女の3人で大学の世帯寮に入った。

上越教育大学に長女を連れて行ったことがあった。
エレベーターに乗った時、上越教育大学の女学生たちが
「この子かわいい❤️」と言っているのを聞いた時、
父親の私が褒められているように感じて、とてもうれしかった。

そして、何よりも嬉しかったことは、世帯寮の前で自転車に乗っていた長女が私の姿を見つけると、
「あ、お父さんだ!」と言って、笑顔で手を振ってくれたことだ。
私にとっては、最高の嬉しい思い出で、本当に可愛いと思った。
今でも、手を振っている姿を今でもありありと思い出せ、嬉しくなる!

🔶5 いつも長女のやりたいことを応援していた その1
ーお菓子やさん、歌手…ディズニーランド…ー

長女が小学校中学年位の時、「将来、お菓子屋さんになりたい」と言った。
私は、「お菓子屋さんは素晴らしい仕事だね」と言って応援した。

高学年になった長女は「歌手になりたい」と言い、その後「松潤みたいな歌手のマネージャーになりたい」と言った。私は、それも肯定した。

そして高校生になって、長女は「将来、ディズニーランドで働きたい」と言った。
お母さんと一緒にディズニーランドに行ったばかりの長女に、
私「今回、ディズニーランドで受けたサービスが素晴らしかったことを、社長に手紙を書いて知らせるといいよ。」とアドバイスした。
長女は、その通りに実行し、手紙を書いた。
システム上、社長からの返事はできないで、その下の人から返事が来た。
「手紙の内容が素晴らしいので、手書きで書き直して、もう一度送ってほしい」と書いてあった。
長女は、言われた通りに書き直した。
大学生になった長女は、希望通り、ディズニーランドでバイトし、社長と一緒に写真を撮っていた。
つまり、ディズニーランドで働きたいという夢は叶えた。

大学3年から4年にかけて、長女が第一希望の会社の一次試験、二次試験を突破して、面接に進んだことがあった。山梨県の本社のある会社で、県外就職になるのだが、私は面接で試験にパスできるように、精一杯アドバイスした。

その結果というわけではないのだろうが、長女は、約4000名中7名の合格率を突破し、第一希望の会社に入社することができた。

親としては、これで長女が新潟に帰ってこないことが決まり、悲しい気持ちもあったけれど、娘の一番の希望が叶いうれしかった。

🔶6 いつも長女のやりたいことを応援していた その2 ー生徒会の副会長になりたいー

同じように長女がやりたいことで精一杯応援したことがある。

それは、長女が生徒会副会長選挙に立候補したことだ。

長女は自分から私に応援演説の文章を一緒に考えてほしいと言ってきた。

私は、一緒になって応援演説の原稿考え、当選できるように色々とアドバイスした。

結局落選したが、家族みんなで一緒にケーキを食べて、慰めたというか、頑張りを認めた。

🔶7スポーツが得意だった長女 ーマラソン大会の活躍を楽しみにしていた両祖母ー

長女は文武両道だった。スポーツが得意だったのである。

例えば、校内マラソン大会。ほとんど毎年1位でその活躍する姿を見たいと、両祖母を含めて、家族で応援した。市内の陸上大会では800メートル走で1位だった。

私の実母の父、つまり私から言えば、おじいちゃんは、マラソンの選手だったらしく、「実母は私の遺伝だ」と思っていた。妻は同じく陸上大会800メートル走で1位だったことから、「私の遺伝だ」と思っていたらしい。

私はと言えば、マラソン大会で良い記録が出るように、当日の朝一緒にストレッチ体操したり、寒さで実力が発揮できなくなるという事がないように、馬油を塗ってあげたりした。

そして、マラソン大会の様子をビデオ撮影をして、夕食時にみんなで見て、本人の頑張りを家族みんなで褒め讃えた。

🔶8 中学時代は、まさかの野球部 ー男子に混じって紅一点ー

そんな長女は、中学時代の部活に野球部を選んだ。

今まで1度も野球をやったこともないのに、紅一点の、まさかの野球部だった。

地方なので部員数は少なかったが、この野球部は強くて、小学校時代県大会で優勝していたメンバーが大勢いた。それでも、運動神経抜群の長女は、1時レギュラーになれた。

毎週のように、土・日のいずれかには、練習試合ないし本試合が入っていた。
野球部の保護者の結束強く、練習試合、本番の試合など、みんな力強く応援した。

この野球部は、約35年ぶりに市内大会で優勝し、別の大会でも優勝した。
野球部では、保護者は全力で応援するのが当たり前で、私も全力で応援した。

🔶9 わが家のビックイベント ー夏の宿泊を伴う家族旅行ー

わが家の1年を通してのビッグイベントは、夏の宿泊を伴う家族旅行だった。
東北1周旅行、3泊4日の佐渡旅行、高野山・那智の滝・伊勢神宮への旅行、富士山…JTB役はいつも私で、子どもたちはいつも楽しみにしていたし、もちろん私も楽しみにしていた。

三陸の被災地をめぐる家族旅行では、家族みんなで早起きして、生まれて初めて海から昇る朝日を見た。
(新潟では海に沈む太陽しか見れない。)

白神山地の十二湖畔を、長女をおぶったり、肩ぐるみしながら歩いていた時の、長女の重さを今でも思い出すことができる。

🔶10 ブレなかった思い切り飛ばすという教育方針

長女が高校1年生だった時、東京の大学へやるかどうかの決断を迫られた。

長女をできるだけ飛ばすという教育方針のもと、地元に戻ってこないリスクも承知していたが、
東京の大学に行くことを認めた。「長女がやりたいように、思いっきり飛ばす」その教育方針はブレることがなかった。

大学1年生の時、長女は電話でこう言った。
長女「夏休みに、どうしてもインドに行きたい。」
私「どうしてまた、インドなんだ!?(治安悪そう。特に女性には)」
長女「マザー・テレサのかかわっていた施設施設に行って、ボランティア活動をしてみたいの! 大学1年生のうちにどうしてもやってみたいの。やってみてダメだったら、大学2年からは別の道を考えてみたいから。」

私は、治安がとても気になったが、ここも認めた。

🔶 11 高校時代のランチデート、大学時代のランチ&ディナデート

長女が高校生の時は、ほぼ月一回ランチデートをしていた。

大学生になっても、東京にセミナーに行った折などに、ランチデートやディナーデートをしていた。

大学を卒業した後、私は長女が働いているところを初めて見に行った!

生き生きと働いている長女を見て嬉しかった。

その夜、長女と一緒に久しぶりにディナーデートをした。

🔶12 高校生・大学生になっても、社会人になっても「目に入れても痛くない!」

私の行きつけのワイナリー「カーブドッチ」の知り合いに、一人娘を持っている父親がいる。
私がワインを口にしながら「高校生・大学生・社会人になっても、娘を目の中に入れても痛くない」と言ったら、その父親は「目の中に入れ続けても痛くない!」と言っていた。

「確かにそうだ!」と、私は思った。

これ以外にも、大学1年生の時、突発性難聴にかかった長女を見舞ったことなど、思い出は尽きない。

今は、結婚式の当日の午前5時5分である。
眠れないので、午前2時から起きてこうして長女のことを思い出しながら、書いている。


妻と同室なので、妻を起こさないように、トイレ・洗面所&浴室で書いている。
そろそろエンディングに入ろうと思う。

🔶エンディング ー長女の夫となる人を評価する最大の理由ー

88歳の実母は、結婚式に参加するべく、今このホテルに前泊している。

実母「あんな優しいアキコの旦那さんになる人は幸せだて!」

と何度も言っていた。
私も本当にそう思う。

私は、長女の夫となった人を評価している。

高校生時代生徒会長やったとか、
東京のディベローパーの会社に就職して1年目で不動産を1番売って賞を取ったとか、
長女と一緒に生活したいとわざわざそのデベロッパーの会社を辞めて、
長女のいる山梨県の銀行に転職したとか
評価する事はいろいろあるけれど、

最大の理由は、長女の心を射止めたことだ。

「男の子に負けない!」と言っていた、あの長女の心を射止めたという事実こそが、
夫を最大に評価する理由である。

長女と2人で幸せになってほしいと、心から願っているし、

これからも父親としてのサポートは惜しまない。

今、午前5時17分。結局、眠れないまま、結婚式の朝を迎えた。

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