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85歳母の大親友、Tさんの急死!

母にとっての一番の親友であり、最大の癒やし手である、Tさんが急死した。
先週の金曜日、6月4日のことである。

1.急死の当日は元気で母といっしょに過ごしていた

この日、一番の親友Tさんは、嫁さんから病院に連れて行ってもらい、診察後、そのままわが家に連れてきてもらっていた。
朝11時頃から、夕方5時頃までいっしょにわが家で昼食を食べたり、おしゃべりして過ごしていた。
●亡くなる当日のお昼頃の写真↑ 右側がTさん
その後、いっしょに駅近くまで歩いて、その後、別れて母を帰宅していた。
いつものよくあるパターンである。
母は終始笑顔でいっしょに過ごし、とても満足した1日であった。

2.翌朝の訃報

翌日の土曜日午前8時半ごろ、Tさんのお宅から電話があった。
Tさん息子「Tですけど、おふくろが昨夜風呂場で亡くなりました。(えっ!?) 私から直接言うとびっくりすると思いますので、息子さんのあなたから伝えていただきたいと思いまして。」
信じられない私は、何度かのやり取りの後、Tさんがお風呂場で事故死したことがわかった。
私「息子の僕が言おうと、誰が言おうと、母がびっくりするのは変わらない!」
まずは、妻を呼び、訃報を伝えた。
私「お母さん、このうえなくショックだろうな。できるだけ傷つけないようにと言ったって、誰が言ってもそれは無理だ!」
●私の胸中(母と大半の人生を共有し、来れば6時間、平気でおしゃべりできるTさん。Tさんがいるうちは、母は大丈夫と思ってきた。そのTさんの分も支えていかないといけない!?
 大親友のTさんの代わりなんてとっても無理です、神様!)
起床後、何も知らないでいる母。
いっしょにお茶を飲み、血圧を測り終えた。
妻も呼んで3人みんな揃ったところで実はと切り出した。
私「お母さん、大ショックだと思うんだけど、ついさっきTさんの息子さんから電話があって、Tさんお風呂場で亡くなったって。」
母「えっ、何だっての。」
母は、絶句し、号泣した。
●孫たちにショックの様子を伝えるために、
やむなく撮った写真↓
●僕の胸中(辛いだろうな、本当に。……僕がこの大親友のTさんの分も支えないといけない!?

でも、大親友のTさんの代わりはなんてとっても無理です、神様!)

私と母と妻の3人は、10分ほどで支度を終え、Tさんの自宅(車で5分余り)へ急行した。

3.Tさん宅で遺体と対面、号泣する母 

9時過ぎにTさんの自宅に着いた。
Tさんの遺体を見るなり、Tさんにすがりつくようにして母は大号泣した。
母「なんで私のことを置いて死んだの!」
僕の父(つまりは夫)が亡くなった時よりも、号泣してるように見えた。
母(すがりつくようにして泣き続ける)
僕の胸中(あー、でもどうしてあげようもない。大親友のTさんの代わりなどとっても無理です、神様!)
母「えーん。」
母:(Tさんの遺体にすがりつくようにして泣き続ける)……。
泣き続ける母を見続けている僕の胸中(わかりました、神様。 今度は僕が全面的に支えます。)
大親友のTさんが亡くなった今、母へのサポートが今まで以上に必要になることは間違いなく、僕は その覚悟をした!

4.死因は溺死だが、真実は寿命

1時間ほどいただろうか。
亡くなったときの事とかいろいろ聞いた。
ひと言で言えば、お風呂場で溺死ということだ。
見つけた嫁さんは、一生懸命人工呼吸をしたという。
でも駄目だった。
丁度1年前も同じようなことがあり、救急車も呼んで、その時は一命を取り留めた。
家族は気をつけていたそうだ。

嫁さん:「今日は、お風呂に入らない。」と言っていたので、そう思っていたら、ちょっと目を離した隙にお風呂に入ってて……。

僕:いやそれはしょうがないんですよ。言っても聞かないから。

現象としては溺死かもしれないけど、寿命なんですよ。
だから、今週3回もわが家に遊びに来て、(亡くなった当日の)昨日も遊びに来て楽しそうに話してたんですよ。

5.枕経とその後の「家族葬」の段取り

1時間ほどしたらお坊さんが来て、枕元でお経をあげてくれた。
その後、通夜と葬式の段取りをし、84歳の高齢でもあり、コロナ下なので、「家族葬」にするという。
ただ、うちの母の場合は大の親友なので、お通夜もお葬式も参列することになった。
Tさんの娘さん「大の親友のYさん(僕の母の名前)を呼ばなかったら、お母さんに怒られる。」
供える花も決めた。今までは友達同士で出してきたけれども、その友達が先に亡くなったので、母1人で出すことにした。
僕は受付をすることになった。
僕も小学生の頃からよくTさん宅におじゃましているので、実は僕も大きなショックを受けている。
それ以上に、Tさんに感謝しているので、快く受付を受けたのだ。

6.不思議と残った最期の写真

今週Tさんは、月水金と3回もわが家に遊びに来た。
いずれも、昼食をいっしょに取っていた。とりわけ水曜日は、その後、二人で駅の方まで歩き、夕食までいっしょに取った。
亡くなった金曜日のお昼には、母がトマトとキュウリを切って出したら、
Tさん「めんどうかけたね。これとってもおいしい。」
こう言っていた。
あまりにうれしそうにしていたので、僕はふと思いついて
僕「写真撮ってやるて。」
こう言って、スマホで写真を撮った。
その写真をTさんの家族に見せたら、とても喜んだ。
Tさんの息子さんは私と同級生なのだが、自分が4歳の時父を亡くしたせいもないあり、母親思いの気持ちがことの外強い。

もちろん、Tさんの息子さんは悲しみでいっぱいである。

私と妻は午前11時過ぎに帰宅した。

実母は、一緒にまだまだそばにいてあげたいと、そこに残った。

7.Tさん亡き後

僕「よかったね、お母さん、Tさんが来て。
Tさんがいたら、もう今日1日ハッピーだね。」
僕がこう言うのをにこにこして聞いていた母。
よく言う台詞だが、こう言ったのは水曜日の話。
Tさんが亡くなった今、この最強カードが使えない!
僕「Tさんより先に逝ったほうがいいよ。Tさんよりも、後に残ってはダメだよ。」と、母にそう言っていたのだが、それはこちらの都合。
寿命はそれぞれ決まっているのだ。
図らずも、
僕「いつまでも多田さんが元気でいるわけ入るとは限らないんだから、デイサービスも行かなきゃだめだよ。」

と言った通りになってしまった。

母を支える覚悟はした

この後は、知恵をしぼってどう支えていくかだ! と僕は思っている。

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